本県大洲市出身のイラストレーター・村上保さんが、一昨日24日の愛媛新聞「ふるさとの風景」に、
「時間~なぜ伸びたり縮んだり」というタイトルのエッセイを、切り絵とともに寄稿されていました。
なんだか子供の頃の私の気持ちを代弁していただいてるような気がしたので、
その全文を次のとおり引用させていただき、この日記に書き残しておこうと思います。
『誰でも憶えのあることだろうが、年末になると、大人は大忙しで大変なのと反対に、
子どもたちにはうれしい季節だった。
クリスマス、学校の冬休み、お正月と、ワクワクが目白押しだったからである。
僕らはその日が待ち遠しく、時間の過ぎるのがなんと遅いのだろうと恨めしく思ったものだ。
ところが、待望の日がやってくると時間は逃げていくように過ぎてしまう。
しかもその後が最悪で、冬休みの宿題は残ったままだった。
なぜ時間はこのように伸びたり縮んだりするのだろうと思うことがある。
時計はそんな気まぐれな時間を縛るために生まれたのだろう、と考えてみたりするが、
もちろん何の解決にもならない。
仕事に追われている時もそうだが、特に年末になると、今でも悲喜こもごもの遠い記憶が蘇ってくる。』
「時間は伸びたり縮んだりする」‥。はぃ、このお気持ち、私にもよく分かります‥。
ひょっとして、子供の頃は、「時間は、絶対ではない」という相対性理論めいたものを、
肌で感じ取っていたのでしょうか?
そして、「悲喜こもごもの遠い記憶」というものは、年を重ねるにつれ、さらに愛おしくなってきます‥‥。