「政治との距離感、縮める年に」というタイトルの論評を寄稿されていました。
このなかから「民主主義」についての記述を、次のとおり抜き出してみました。
『民主主義は「参加と責任のシステム」である。多様な意見や利害を持つ人々が公の意思決定に参加し、
自ら加わって下した決定だからこそ結果に責任を持つ。
異質な立場を否定せず、相互に折り合える着地点を粘り強く模索する。
このようないつ終わるとも知れぬプロセスが民主主義である。
当然、プロセスがうまくいかないことも多く、多数派による少数派の抑圧や、
少数派による権力奪取がしばしば発生する。そこから排除された人々の異議申し立てによって
政治が動揺したり活性化したりもする。』
『本来、民主主義とは市民が自ら意思決定に参加し、それゆえに責任を持つシステムであるが、
代議制は直接参加ではなく、選挙を通じて民意を政治システムへと伝える装置である。
この装置が機能不全を起こせば、人々にとって政治は遠いものとなり
責任を感じることもなくなってしまう。』
『民主主義の質を高めるカギは、いかに参加の感覚を回復するかにかかっているだろう。
私たちは日々、洪水のように押し寄せる情報に圧倒されながら、
自分なりに世界や社会を理解し、未来を選択したいと思っている。
ただし人は相互に孤立した状態で自分で選択しようとすると、むしろ他者の影響を受けやすくなる。
閉じられたネット情報にとらわれないためにも、SNSから情報を受け取りつつ、
身の回りの人々とのリアルな対話で補っていくことが肝要である。
その意味で、25年はより身近なレベルから政治との距離感を縮める1年にしていきたい。
これなら他者と共存できるという信頼こそが、民主主義の最大の基盤である。』
なるほど、「これなら他者と共存できるという信頼こそが、民主主義の最大の基盤」なのですか‥。
だとするならば、分断化する米国はすでに民主主義国家ではない、ということなのでしょうか‥?
いや、そうではなく、先進民主主義国家してしての「実験」が続いている、ということなのでしょうか‥?
今回の宇野先生の論評は、「日本政治の現状分析」でしたが、
ユーラシア・グループの「2025年世界の10大リスク」の2番目に、「トランプの支配」があったので、
ふと、「アメリカ政治」のことを考えてしまいました‥‥。
ふと、トランプ次期大統領が統治するアメリカのことを考えてしまいました‥‥。