朝日新聞デジタル版「日曜に想う」に掲載された
大野博人・編集委員執筆による『「左のナショナリスト」の憂い』という記事が、
「グローバル化と民主主義」を考えるうえで、大変勉強になりました。
「ナショナリスト」といえば「右」というのが相場ですが、
フランスのジャンピエール・シュベヌマン氏(78)は、フランス社会党の創設にかかわった一人で、
左派政権で閣僚も務めた政治家であるにもかかわらず、国家へのこだわりが強く、
国境を超えて経済がグローバル化し、欧州でも経済統合が進み、
政財界や言論界の大勢がその流れを支持しているときに異論を唱え続けたことから、
「左のナショナリスト」と呼ばれたそうです。
なぜ老政治家はグローバル化に異論を唱え続けたのか、記事には次のように書かれていました。
『民主主義は国民国家の中でしかうまくいかない仕組みだと考えるからだ。
多数決でものごとを決めるときには、
フランス人や日本人といった国民としての「私たち」という意識の共有が欠かせない。
「私たちみんなでいっしょに決めたのだから」と思えてこそ、少数派も結果を受け入れられる。
だから、国という枠を大事にする。その意味でナショナリスト。
国を軽んじては民主主義がおかしくなる、と警告していた。』
老政治家のこの警告から17年が経って、
米国では「アメリカ・ファースト」を唱えたトランプ氏が大統領になり、
英国は欧州連合(EU)離脱が決まるなど、各地で国家への回帰を強調する政治家が次々と登場し、
グローバル化に振り回されるのを拒み、国という枠組みに戻ろうとする動きがあります。
こうした動きを踏まえたうえで、記事では次のような疑問が提起されていました。
『グローバル世界では民主主義はなりたたない。
かといって、排他的なメッセージを乱発するポピュリストの「国」に戻っても、
それで連帯の回復を期待するのは無理だろう。
日本でも「非国民」「反日」などという言葉が熱を帯びて飛び交う一方、
少子高齢化と巨額の財政赤字の負担の議論は遅々として進まない。
ナショナリズムは高まっているように見えて、国民の連帯は弱まり続けているのではないのか。』
『富める人や地域が、困難を抱える人や地域を支える。
それを可能にしてきた国民同士というつながりが崩れてしまったから
こんなことが起きるというわけだ。』
う~む、なるほど‥‥。だから、「左」とか「右」の問題ではなく、
そもそもの「国民という礎石」から再構築せざるをえないわけですね‥‥。
世界のグローバル化の流れのなかで、国家や国民、そして民主主義をどのように捉えたらいいのか、
普段は考えることのないことを考えさせてくれた、大野編集委員の論評でした。