今日も良く晴れて、夏のような暑さとなりました‥‥。
さて、今日の愛媛新聞「文化」欄に、社会学者の大澤真幸先生が、
「賛否両論 共感なき分断 安倍氏国葬」というタイトルの論評を寄稿されていました。
大澤先生は、今回の国葬が「いったい何を浮き彫りしたか」について、次のように述べられていました。
『私は、今回の国葬をめぐる世論の分断に、通常の意見対立とは異なる深刻なものを感じている。
後世の人が数字だけを見ても検出できない、同時代人の一人の肌感覚を記しておく。
普通は、意見が対立していても、人は互いに反対派の気持ちや論拠に対しても
一定の共感や理解をもっている。このことが、民主主義が成り立つための前提である。
少数派だという理由だけで退けられた人が民主的な決定に従うのは、
対立していた陣営にも自分たちへの配慮や共感があったという信頼があるからだ。
しかし安倍氏の国葬をめぐる分裂においては、このような反対派への共感が極端に薄かったように思う。
つまり一種の国民的なコンセンサスとして顕彰しよう(あるいは顕彰できる)と思う人が
たくさんいること自体に驚いており、逆に国葬を支持したり容認したりしている人は、
国葬に猛烈に反対する人たちにさっぱり共感できない、という気分になっている。
両者の間に、最小の共感と言う橋が架かっていない深い溝がある。
だが、するとふしぎである。これほど評価が分裂する安倍晋三という政治家が率いた政権が、
なぜ憲政史上最長になりえたのか。この事実は、わが国の議会制民主主義の中に
ほとんど反映されない不可視の分裂が国民の中にはあったということを意味している。
真の対立は、国葬の是非より深いところにある。
議会はうまく機能せず、これを代表することに失敗してきた。』
う~む、なるほど‥。「不可視の分裂」ですか‥‥。
大澤先生ご指摘のとおり、わが国では目に見えない分断が、
知らず知らずのうちに進行しているのかもしれません。
だとすると、この先、日本社会にはどのようなことが起こるのでしょう‥‥?