今月27日の日経新聞「春秋」は、「幽霊」に関するコラムでした。
コラムは次のような文章で始まります。
『「夏なのにコートを着た女性を乗せ目的地に着いたが、
後ろの座席には誰もいなかった」。
東北学院大学の学生が、震災後に約1年かけ
まとめた論文が話題になっている。こんな幽霊現象の体験者が7人もいた。』
半信半疑で私はコラムを読みましたが、
哲学者の鷲田清一さんも次のようなことを述べられて、認識を新たにした次第です。
『東日本大震災からしばらくたったころ、被災地で「幽霊を見た」という人が現れた。
幽霊が見える(心理)とはどういうことだろうか。
災害の直後は心の痛みと割り切れなさがあり、死者との距離が取りきれない。
だが時間が経過すると、隔たりが生まれる。
死者が遠くなったときに「幽霊」が向こうからやってくる。』
この言葉は、今日29日から日経新聞で連載が始まった
『問いかける言葉~東日本大震災5年』に載っていたものです。
東日本大震災は歴史や社会、文明に対する日本人の考え方をどのように変えたのか、
5年を経た今、新たな問いを発する作家、評論家、学者に聞くという連載企画で、
その第一回目が鷲田さんでした。
ところで、昨日28日は、叔母の嫁ぎ先のお義母さんの通夜に参列しました。
享年101歳の大往生です。
通夜が終わった後、従妹にコラムの幽霊の話をしたところ、
「亡くなったお祖母ちゃんがもし幽霊で出てきたら、私は嬉しい」と言っていました。
そういう私も、自分の母親の幽霊に是非とも遭遇したい気持ちですが、
鷲田さんのお話しによると、
私と亡き母の距離は、20年が経過しても「近いまま」なのかもしれません。
先ほどのコラムには、
『未曽有の災害から5年、人はどう乗り越えるのか。
幽霊との遭遇談は悲しみを秘めつつ、貴重な示唆に富む。』
という言葉もありました。
幽霊談には「人間味のある哲学的な要素」があることを思い知った次第です。