東日本大震災の発生から、今日で9年です。
今日の日経新聞一面コラム「春秋」を、後日のために、この日記に書き残しておこうと思います。
『きらめく太平洋、次々にあらわれる小さな入り江、ウミネコの群れ。
三陸海岸をめぐると、いつも目に飛び込んでくる景色である。
風光明媚(めいび)という言葉が、これほど似合う地方もないだろう。
なのにあの日、その海が沿岸の町や村に襲いかかり、たくさんの命を奪った。
東日本大震災の発生から、きょうで9年になる。
被災地を歩いて胸に迫るのは、ふだんの海の穏やかさと、津波の傷痕との大きな落差だ。
復興が思うにまかせない地域が多々ある。かさ上げした土地の、漠とした広がり。
重機がうなり、土ぼこりが舞う。
9年もの歳月を経て、こういう光景にいまもあちこちで出合うのだ。
せっかく宅地ができたのに、多くの住民がそこに戻らない。
資力のある人たちはとっくに高台に新しい家を建てた。
そもそも高齢化が進んで、まちづくりの担い手がいない。
被災地で耳にするのは、こんな厳しい話である。
この現実を見るにつけ、南海トラフ地震が起きたあとの日本はどうなるかとやりきれぬ思いが募る。
やはり苦闘が続くここを何度も訪れて知らされるのは、
それでも人々は再生への歩みを止めないことだ。
防災対策庁舎の遺構を見下ろす震災復興祈念公園も、一部が開園した。
あの日、荒れ狂った志津川湾に向きあうモニュメントには「碧(あお)き海に祈る」とある。』
9年前の今日、テレビを通じて見た、津波が次々と家屋を破壊する衝撃の映像は、
どれほど年月が経過しても、決して忘れることはありません。
こちら愛媛では、南海トラフ地震で多大な人的・物的被害が想定されていますが、
その時に備え、あの日、私がこの目で見た光景は、この年の5月に生まれた小学二年生の孫娘に、
機会があるごとに語り継ぎたいと思っています。
そして今、私たちは、新型コロナウイルスという、この目で見ることができない、
また、その終息が見通せない、自然災害とは異なる「新しい恐怖」と闘っています。
今度は、世界規模で起こった今回の出来事を、自らの目に焼き付けた孫娘が、
次の世代に、その教訓をしっかりと語り継いでくれると思います。