長く積読状態だった『三陸海岸大津波』(吉村昭著:文春文庫)を
ようやく読了しました。(読むのをためらっていたのかもしれません。)
この本の最後の箇所で、
明治29年の大津波以来、昭和8年の大津波、昭和35年のチリ地震津波、
昭和43年の十勝沖地震津波等を経験した、岩手県田野畑村の早野さんという方の、
次のような言葉が紹介されています。
『津波は、時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。
しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、
死ぬ人はめったにいないと思う』
著者の吉村さんが、この本を書かれたのが昭和45年6月、
そして、お亡くなりになったのが平成18年7月。
先ほどの幾多の津波を経験された早野さんも、そして吉村さんも、
再び多くの方が犠牲になられるとは、
天上でも想像できなかったのではないでしょうか……。
「未来に伝えられるべき貴重な記録」と言われた本書の教えが、
その後の災害に生かされなかったことがとても残念に思います。
ところで、本書を読んで、
津波の体験談等の迫力ある記述に圧倒されたのはもちろんなのですが、
「三陸の海」に関しての、次のような記述も私には強く印象に残りました。
『海は、人々に多くの恵みをあたえてくれると同時に、
人々の生命をおびやかす苛酷な試練をも課す。
海は大自然の常として、人間を豊かにする反面、容赦なく死をも強いる。
屹立した断崖、その下に深々と海の色をたたえた淵。
海岸線に軒をつらねる潮風にさらわれたような漁師の家々。
それらは、私の眼にまぎれもない海の光景として映じるのだ。』
「自然ほど伝統に忠実なものはない」
今日11日の日経新聞「春秋」には、寺田寅彦のこの言葉が紹介されていました。
愛媛も近い将来、「南海トラフ巨大地震」による被害が想定されています。
「非常時に備える覚悟はできているのか」と、厳しく問いかけられているようです。