今日15日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、
翻訳家・東江一紀(あがりえかずき)さんの
『まじめさには、きちんと酸素を補給してやらないとね。』という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの次のような解説がありました。
『翻訳にまじめに取り組むのは結構なことだが、
それが嵩(こう)じて「悲壮」のレベルになると視野も狭まって危ないと、翻訳家は言う。
だから「進行方向だけではなくて、周りの風景にも目を配り、
最終的には、そういう自分の姿を客観的に眺められる余裕が、ぜひとも欲しい」と。
官僚の心得についての話かと勘違いしそうになる。
エッセー集「ねみみにみみず」(越前敏弥編)から。』
この解説に登場する「官僚の心得」といえば、岡本全勝・元復興次官が
昨日の日経新聞電子版「あすへの話題」で、「鷹の目と象の時間」と題して、
次のようなことを述べられていました。
『視野の広さを表す表現に、「鷹(たか)の目と蟻(あり)の目」という言葉がある。
「鳥の目と虫の目」とも。蟻は目の前の細かいところはよく見えるが、遠くが見えない。
それに対し、鷹は高いところから、広い範囲を見ることができる。
蟻は迷路に入って悩むが、空から見ている鷹は出口が見える。
~ (中略) ~
もう一つ、時間的な長さによる視野の違いがある。
目の前の課題に集中していると、大きな流れがわからなくなる。
長い時間で物事を考える、すなわち過去にさかのぼることと、未来を想像することが必要だ。
ところで、これを例えるよい表現がない。長生きの代表は鶴や亀で、短い代表はカゲロウだが。
私は、著名な本の題名を借りて「象の時間と鼠(ねずみ)の時間」と表現している。
~ (中略) ~
たぶん、鼠は象に比べると、素早い動きはよく見えるが、長期的視点は持っていないのだろう。
もっとも、鼠自身は、象との比較は分からないだろうが。
目の前のことをしっかり見つつ、長い時間の中で考える。
その訓練も必要だ。象の時間を忘れない鼠でありたいものだ。』
う~む、なるほど‥‥。「自分の姿を客観的に眺められる余裕を持つこと」や
「目の前のことをしっかり見つつ、長い時間の中で考えること」は、
何も官僚に限ったことではなく、仕事を遂行するうえで大切な心構えだと思います。
ところで私は、地方公務員を定年退職して2年が経過しますが、
今でも公務員の仕事ぶりのことを書いた記事が気になります。
現役時代にこそ、こうした記事にもっと目配りすべきでした。後の祭りです‥‥(反省)。