しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

制限と写実の文学

今日23日は、二十四節気の「大暑」です。

暦のとおりに、とても暑い一日となりました。私は早くも夏バテぎみです…。

なお、気象庁が発表した7~9月の3カ月予報によると、

太平洋高気圧の張り出しが強く、8、9月の気温は全国的に平年より高くなる予想で、

今年は真夏の暑さ、残暑とも厳しくなる見通しとのことでした。

う~む、まいったな…。この予報を聞いただけでめまいがしそうです。

 

さて、NHKテレビテキスト・100分de名著

高慢と偏見ジェイン・オースティン』を読了しました。

高慢と偏見」は、女主人公エリザベスと大富豪の青年ダーシーの恋愛物語。

題材は平凡であっても、女主人公が経験した心の動きや認識の変化の大きさが

実に劇的であること、それがこの小説の大きな見どころ……。

こう解説されているのは、番組指南役の廣野由美子・京都大学大学院教授です。

 

廣野教授によると、オースティンの小説は、「制限」の文学と言われているそうです。

自分がよく知っていることしか書かない、という意味での「制限」ですが、

無駄なことを省くという意味で、非常に抑制の利いた文学でもあるとのことでした。

また、夏目漱石も、オースティンの「写実」、リアリズムを、

真の人間を描く小説の方法であるとして、高く評価しているとの解説もありました。

 

廣野教授といえば、以前、

100分de名著「フランケンシュタイン」に番組指南役として出演され、

その解説に触発されて、メアリ・シェリーの同小説を購読したところ、

これがとっても面白かったという体験があります。

ですから今度も、是非この小説を読んでみたいと思っています。

う~む、それはいいけど、また積読本が増えてしまうような予感が……。

 

 追記

物語を読み解くうえでのキーワードとなる、「高慢(Pride)」と「偏見(Prejudice)」の

廣野教授による解説をメモして残しておきます。

『現代のPrideは、邦題では「高慢」「自負」などと訳されていますが、

 Prideという語にはほかにも、誇り、自尊心、満足感、得意な気持ち、

 自惚れ、思い上がり、などさまざまな意味があります。

 つまり、「高慢」は原義の一部にすぎず、

 Prideにはプラス・マイナスの両義を含んだ多様な意味が込められているのです。

 また、Prejudiceには、偏見、先入観、毛嫌い、偏愛、えこひいき、など、

 こちらも幅広い意味があります。道理のとおらない理由で人を嫌うことだけでなく、

 逆にえこひいきするのも「偏見」の一種なのです。』

ジェイン・オースティン『高慢と偏見』 2017年7月 (100分 de 名著)

ジェイン・オースティン『高慢と偏見』 2017年7月 (100分 de 名著)

 

 

 

批判と同時に対案も

『偽りの経済政策~格差と停滞のアベノミクス

(服部茂幸著:岩波新書)を読了しました。

 

私には、後味の悪い本でした。

それは、この本の品性のなさ、品格のなさにあると思っています。

というのも、この本の中には、

黒田日銀総裁と岩田日銀副総裁に対する批判が、くどいくらい書かれています。

批判は正しいかもしれないけれど、個人攻撃のような気もして、

読んでいてあまり良い気持ちがしませんでした。例えば、次のような記述です。

 

『黒田と岩田は二年で目標を達成すると豪語した。

 目標が達成できなかった時、最高の責任の取り方は辞任だと岩田は言った。

 これを「自惚れ」という。最初から目標達成は非現実という主張は多かったが、

 彼らはこれを「否認」した。

 物価目標の達成に失敗するたびに、達成時期を繰り返し先送りする。

 それにもかからわず、次は目標を達成できると主張する。

 これは「自惚れ」と「否認」のハイブリッドとも言えよう。』

 

その一方で、政府・日銀やアベノミクスの全面否定かといえば、

本書の「あとがき」において、著者は次のようなことを述べられています。

『もっとも、筆者はアベノミクスの全てに反対しているわけでも、

 政府・日銀の現状認識が全て間違っていると思っているわけではない。

 例えば、デフレ脱却の鍵を握るのは賃金上昇であることは自明のごとく語られる。

 それに筆者は賛同するが、

 日銀が国債を購入すれば、賃金が上昇するとは思えない。

 筆者は世界的な原油価格の急落が

 消費者物価上昇率を引き下げたということには賛同する。

 けれども、同時に現在の日銀体制成立時の消費者物価上昇は、

 円安による輸入インフレの結果だと考えている。』

 

う~む………。(沈黙)

著者の言われるようにリフレ派理論が自滅しているとして、

じゃあ、これからどうすればよいのでしょう…??

著者には、批判と同時に対案も示してほしかったです。

 

偽りの経済政策――格差と停滞のアベノミクス (岩波新書)

偽りの経済政策――格差と停滞のアベノミクス (岩波新書)

 

 

 

 

 

 

 

長続きの秘訣

今日から学校は夏休みです。

朝の通勤途上で挨拶を交わす小学生の集団登校の列に出合うこともなく、

ちょっぴり寂しさというか、物足りなさを感じています。

 

さて、夏休みといえば、「腕を前から上にあげて大きく背伸びの運動」……。

今日の朝日新聞天声人語」には、 ラジオ体操のことが次のように書かれていました。

『ラジオ体操の歴史は古い。昭和天皇の即位の大礼に合わせて1928年に始まり、

 戦時中は「国民精神総動員」の号令下、国威を高める場ともされた。

 戦後の占領当局は「300万人を一斉に動かす軍国日本の活動だ」と廃止を迫る。

 動きや伴奏曲を一新して再開された』

 

そのラジオ体操といえば、小学生の頃、

夏休みには朝早く起きて、近くの公園に通ったことを思い出します。

参加した証拠に、体操の後でスタンプを押してもらうことが、

なぜかとても楽しみでした。

 

そして今、私は平日には、午前5時に起床して自分のお弁当を作り、

午前6時25分から放映されるNHKテレビの 「みんなの体操」をすることが、

昨年7月からの日課になっています。

昨年3月の定年退職後、第三セクターの民間企業に就職し、

バイク通勤をすることになって、運動不足を解消するために始めたものでしたが、

今年の4月に転職して通勤手段が変わり、

徒歩で往復約30分歩くようになってからも、 なんとかテレビ体操を続けています。

 

「続いている」ことといえば、このテレビ体操のほかに、

お弁当づくり、就寝前の読書、そして、この日記を書くことがあります。

なお、先ほどのコラムには、ラジオ体操について次のようなことも書かれていました。

 

『各人が体力や気分に応じて体を動かす。

 無理をしないことが長続きの秘訣(ひけつ)かもしれない。』

ラジオ体操に限ったことではなく、

年を取ってから物事を長続きさせるためには、

「無理をしないこと」が大切なのかもしれません……。

というか、「無理ができない」体になってしまいました。(苦笑)

 

打つべき手はどこに?

金融政策に関する日記が続いています。

別に意図して書いているわけではありません。たまたまです。

 

さて、本日20日の日経新聞電子版に、

『上がらぬ物価、日銀どう動く リフレ派3氏に聞く』

という記事が掲載されていました。

2013年の異次元緩和の開始から4年が経過しても、

日銀が掲げる2%の物価上昇目標が遠いことについて、

量的緩和を主張してきたリフレ派のエコノミスト3氏に

日銀が打つべき手を聞いたもので、その理由は概ね次のようなものでした。

 

A氏 ⇒ 原油価格の急落が主因だ。

     CPIの下落要因を分析すると原油価格の下落の影響が一番大きい。

B氏 ⇒ 企業の価格転嫁メカニズムが破壊されている。

     過去15年以上のデフレのトラウマで

     企業経営者が値上げに臆病になっているためだ。

     合理的な経営判断では値上げをして収益を確保した方がいいのに、

     値上げをすると売れなくなると過剰に心配している。

C氏 ⇒ 13年に異次元緩和を始めて、

     最初はインフレになるのではないかと 人々の期待が高まったが、

     14年4月の消費税率引き上げ、

     16年2月のマイナス金利導入で円高になって

     インフレ期待は急激に後退した。

 

う~む、よく分かりませんが、これを読むと、

日銀が物価上昇目標が達成できていないのは、

原油価格の急落」、「企業の価格転嫁メカニズムの破壊」、

「消費税率引き上げとマイナス金利導入」といった

外的要因ばかりのような気がします。

 

でも、リフレ派理論そのものに問題はないのかしら…?

ちなみに、日銀が打つべき手については、

「マネタリーベースの拡大」、「外債購入」、

「上場投資信託のさらなる購入」などでした。

「打つべき手が、だんだん少なくなっている」という理解でいいのでしょうか…?

どちらが正論??

昨日のこの日記で、金融緩和の本質が「需要の先食い」であることを書きました。

 

その件に関し、原田泰・日銀審議委員が、

本年6月29日の 資本市場研究会における『債券市場の機能と金融政策の誤解』

という講演のなかで、

「金融緩和によって生じる低金利は、単に将来の需要を前倒しするだけで、

現在と将来の生産を拡大するものではない」という議論の事例として、

翁邦雄・京都大学教授の、次のような主張を紹介されていました。

 

『確かにマイナス金利政策で住宅建設を前倒しさせる効果はあるでしょう。

 しかし、その効果は、家を来年建てる代わりに

 今年建てるように働きかけることにすぎません。

 今年に前倒しさせると、その分、来年になると建てたい家の数は減ります。

 需要を先食いした分、……来年の自然利子率は低下することになります。

 こうなってしまうのは、 金融政策では……

 長期的に建てられる家の総数は変えることができないからです。』

 

この主張に対し、原田審議委員は、次のような反論を述べられていました。

『しかし、私が別の機会でも繰り返し述べているように、

 金融政策の効果は、需給ギャップを縮小し、雇用と実質所得を拡大することである。

 実質所得が拡大すれば、翁氏の比喩を使わせていただければ、

 人口によって建てる家の総数が決まっているとしても、

 より広い、より暮らしやすい快適な家を建てるはずである。

 すなわち、金融緩和は、単に需要を先食いしているのではなく、

 現在と将来の両方の需要を拡大するのである。』

 

う~む……、どちらが正論なのでしょう??

なお、原田審議委員は、先ほどの講演のなかで、

1930 年代の大恐慌においても金融緩和に反対していたミーゼスの

『ブームの恩恵が払う代償は貧困化である』という言葉を紹介された後で、

ケインズの次のような反論を紹介されていました。

 

『企業の損失、生産の減少、失業の発生の原因は、

 1929 年の春まで続いた高水準の投資にあったのではなく、

 この投資が停止したことにこそあり、

 高水準の投資の回復以外に景気の回復はありえない、と私は考えています』

 

ますます、どちらが正論なのか分からなくなりました…。

金融緩和の効果って、需要の拡大という意味では、

設備投資の効果と同じなのでしょうか……??

私の場合、金融政策を初歩から勉強する必要がありそうです。(トホホ…)