また雨でした。しかも夕刻から次第に寒くなりました‥。
その雨の中を、今日は歩いて町立図書館に行って、
4月21日(日)から27日(土)までの朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、
まとめ読みしてきました。この一週間は、印象に残る「ことば」が盛りだくさんでした。足を運んでよかった。
まず、4月21日(日)は、松田青子さんの
「瞬間、というものは、一瞬のことではなくて、連続性のうえにあるのだな」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『「妙な気のつかい方をしてしまう性格」で、このところ通っている美容室でも担当者を指名しないと、
小説家は言う。ある日、初めて当たった美容師さんと雑談するなか、
喉から手が出るほど欲しかった情報をもらえた。こんな偶然が生まれたのも、
その場所がそこに集う人たちのあいだで、濃やかに耕されていたからだろう。
随想「担当者」(「世界」4月号)から。』
なるほど、「瞬間は連続性のうえにある」ですか‥。含蓄に富んだお言葉です。
そして、「妙な気のつかい方をしてしまう性格」というのは、私にも当てはまるような気がしました。
次に、4月23日(火)は、林達夫さんの
「絶望の唄を歌うのはまだ早い、と人は言うかも知れない。」という「ことば」で、
これまた鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『批評家は、戦時期のもっとも決定的な転換点は、真珠湾攻撃の日でなく、
大政翼賛運動が始動した日だったと言う。
呪術めいた政治の「命令」の言葉に囲まれた時はすでに手遅れだった。
精神の自由を最後の最後、確保するためには、「融通の利かぬ硬直」にも、
「臆病な順応主義の示す軟弱」にも陥るまいという「絶望の戦術」しか残っていなかったと。
「歴史の暮方」から。』
う~む‥‥。
精神の自由を最後の最後、確保するための「絶望の戦術」って、具体的にはどんな「戦術」なんだろう?
絶望名人・カフカのような生き方なのかしら‥‥?