しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

過酷で悲惨な現実

非常に強い台風21号が、日本列島に大きな爪痕を残して去ったと思っていたら、

今度は北海道南西部の胆振地方を震源とする震度7地震がありました。


今日6日の朝日新聞一面コラム「天声人語」には、

西日本豪雨のあとも、台風と猛暑が入れ替わるように列島を襲う。

いつどこでも起こりうるというより、いつもどこかで被害が起きている。

日本の新しい現実である。』と書かれていましたが、

「豪雨」と「台風」と「猛暑」だけでなく、「地震」も日本列島を襲って、

「いつもどこかで被害が起きている。」が、現実のものとなってしまいました。


「日本の新しい現実」にしては、あまりにも「過酷で悲惨な現実」に、

茫然として言葉を失ってしまいます‥‥。

自分への投資を怠る

毎朝出勤前に、NHKニュース「おはよう日本」の「おはBiz」を見ています。

昨日4日にそのコーナーで放映された「カイシャインのおきて」のテーマは、

「さみしい50代にならないための準備」でした。


人材育成コンサルティング会社「Indigo Blue」会長の柴田励司さんは、

「さみしい50代」現象は「特に大企業や、成熟した事業をしているところに起きがち」で、

特定の仕事はできるけれど、それ以外のことになるとまったくできない「中途半端にできる人」が

一番問題だと指摘し、こういう人が“さみしい50代”になってしまうと話されていました。


また、柴田さんによると、仕事のスキルには「特定スキル」と「ポータブルスキル」の

大きく2種類があり、特定スキルは「会社である特定の仕事をするためのスキル」、

一方、ポータブルスキルは「文章力やプレゼン力、コミュニケーション能力など、

どの企業で働いても必要とされる基礎的なスキル」を意味するとのことで、

どうやら「中途半端にできる人」は、このポータブルスキルが足りないようです。


では、ポータブルスキルはどうすれば鍛えられるのか。

柴田さんは『何らかの仕事と離れた環境で、実際に「自分が文章を書けるか」

「人前で話ができるか」「知らないところに入って議論をまとめることができるか」。

こういうことをやってみたほうがいい。』とすすめられていました。


そのうえで、「自分への投資をするから、自分の仕事としての資産が生まれ、それを活用できる。

資産なしに50代、60代を迎えると、なかなか大変だと思う」と話されていました。

具体的な方法としては、社外での交流会や勉強会に参加すること、1分間のスピーチ訓練、

新聞の要約などもおすすめだということでした。


以上、番組HPの内容から引用・要約させていただきました。

番組を見て思ったのは、私の場合、

「特定スキル」がなく、さらに「ポータブルスキル」も足りなくて、

そのために、“さみしい60代”を迎えてしまったのではないか‥‥ということです。

自分への投資を怠った結果だと深く反省しています‥‥。

(60才を過ぎてからは、なんだか反省だけで生きているような気がします。トホホ‥‥)

予期せぬ休日

報道によると、非常に強い台風21号は、

今日の正午ごろに勢力を維持したまま徳島県南部に上陸した後、

午後2時ごろに神戸市付近に再上陸したとのことでした。


今日の日経新聞一面コラム「春秋」で、

『復旧が緒についたばかりの豪雨の被災地に追い打ちをかけぬことを祈るばかりだが、

記録的な暑さのフィナーレにしては、空も気まぐれが過ぎはしまいか。』と、

西日本豪雨の被災地のことを心配していただいたところですが、

西日本から北日本の広い範囲で猛烈な風や雨となったにもかかわらず、

こちらはそんな強風も吹かず、雨もほんのお湿り程度に降っただけでした。

霊峰・石鎚山を筆頭とした急峻な四国山脈が、「防護壁」になっているのだと思います。


不謹慎な言い方で恐縮ですが、

今回の台風の到来で有難い思いをしたのは、小学一年生の孫娘だったのかもしれません。

昨日には早々と休校が決まったこともあって、今日は仕事がお休みだった大好きなグランマと、

二人仲良く「予期せぬ休日」を過ごしたようです。

「小さな喜び」と「見過ごしがちないいこと」

久しぶりに認知行動療法研修開発センターの大野裕先生が執筆されている

日経新聞「こころの健康学」の内容を取り上げたいと思います。


しばらくこの連載コラムの感想を、この日記に書くことがなかったのは、

私の精神状態が、酷暑にもかかわらず、比較的安定していたのかしれません。

ちなみに、今日のタイトルは『小さな喜び 意欲生み出す』というもので、

大野先生は、次のようなことを述べられていました。


『私たちの意欲はただ待っていてもわいてこない。

 ボンヤリ横になって待っても、なかなかやる気は出ない。

 脳科学的に、やる気は報酬系と呼ばれる仕組みが刺激を受けたときに出てくると考えられている。

 やってよかったという思いから生まれるやりがいや、できたという喜びが脳の報酬系を刺激して、

 またやってみたい、またやってみようという意欲がわいてくる。

 毎日の活動の中で、いつも喜びややりがいを感じることはないかもしれない。

 そのときは、大きな喜びでなくてもよいということを思い出すとよいだろう。

 私の知人が「シャワーのように小さい喜びを浴びられるとよい」と言っていたが、

 ほんの小さな喜びでも、それが次の行動につながる意欲を生み出す。』


う~む、なるほど‥‥。ということは、何事にも「やる気」が出てこない私は、

「脳の報酬系が刺激を受けていない」ということなのかしら‥‥?

ところで、ここに書かれている「ちいさな喜び」といえば、

昨日3日の朝日新聞一面コラム「天声人語」には、次のようなことが書かれていました。


『「いいこと日記」。精神科医宮地尚子さんがエッセーで書いていた。

 その日の良かったことを三つ、簡単にメモするだけという。

 悪かったことはあえて書かない。どれほど嫌なことがあったとしても。

 そんな日記を続けて宮地さんが見えてきたのは

 「いいことはたくさん起きているのに、それらを当たり前のように受けとめて、

 じゅうぶん味わっていなかったなあということ」。

 なぜうまくいかないのかと不満を持ち、

 反省することに多くの時間とエネルギーを費やしていたことも分かったという。

         ~ (中略) ~

 春がスタートの季節とすれば、秋は再スタートのときか。

 学生であれば夏休み明けで、学校に行くのがしんどく思えるときがあるかもしれない。

 つらいことはある。でも見過ごしがちないいことも、たぶんたくさんある。』


はぃ、分かりました‥‥。私も、不平不満はなるべく言わないように心掛けて、

「ほんの小さな喜び」や「見過ごしがちないいこと」を

なにげない日常生活のなかから見つけたいと思います。

父の体験通所

午後5時前に、父が満足げな表情でデイサービスセンターから帰ってきました。

要介護認定を受けてから、今日が初めての体験通所利用の日です。

午前8時20分に施設の職員の方が迎えに来た時には、父は少し緊張した面持ちで、

玄関先で見送る私と妻も少し心配しましたが、どうやら無事に「お勤め」を果たしてきたようです。

その「お勤め」の内容とは、「筋持久力訓練」、「応用歩行訓練」、「リハビリ体操」などなど‥‥。


今年が卒寿の父は、足腰が弱って歩行が覚束ないものの、

食事や入浴、そしてトイレなどは、ほとんど人の手を借りずできるので、

家族の説得に聞く耳は持たず、これまでなかなか介護認定を受けようとしませんでした。

「それがようやく‥‥」、これが私の今の心境です。


ちなみに、地域包括支援センターへの相談や要介護認定の申請、訪問調査の対応など、

本来は私がすべきところを、妻がその全てを行ってくれました。

面と向かっては言っていないけれど、感謝の気持ちで一杯です。


なお、父の要介護度は、軽度な「要支援1」‥‥。

このままだと、認知が進む私のほうが、父を追い抜いてしまうかもしれません。(苦笑)