しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

ひと雨ごとに‥‥

今は、二十四節気の「霜降(そうこう)」(10/23~11/6)ですが、

七十二候では、昨日から「霎時施(こさめときどきふる)」(10/28~11/1)が始まりました。

「暮らし歳時記」のHPには、

『ときどき小雨が降る頃。「霎」をしぐれと読むことも。ひと雨ごとに気温が下がります。』

という解説があります。

この解説にあるように、今朝、家を出ようとすると、

いきなり小雨が降りだしたので、折り畳み傘を持参で出勤することになりました。

そして、これも解説にあるとおり、今日は気温が下がって肌寒い一日となりました。


いつもこの日記に書いているように、私は「暑さ」が苦手、それに輪をかけて「寒さ」が苦手です。

痩せた身体なので、暑さも寒さも直接、骨に突き刺さるのです。(苦笑)

次のお休みには、こたつを出そうと固く決意しています。

寒い冬の訪れを前にして身構える私ですが、

ラグビー早慶戦早明戦が近づくなど、ウインタースポーツの楽しみな季節ともなりました。


ところで、今日の日経新聞「こころの健康学」では、

認知行動療法研修開発センターの大野裕先生が、

『やりがいや夢がこころの健康に大事だということはよく知られる』として、

まったく目が見えなくなっているし、足が弱って車椅子での生活を送っているけれども、

精力的に研究を続けているという、今年で97歳になった、

認知行動療法創始者のアーロン・ベックさんのことを書かれていました。


そういえば、足腰の弱った90歳の私の父も、毎日の碁会所通いだけは熱心で、

この趣味が日々の生活に、「張り合い」というものをもたらしているみたいです。

年齢を重ねても、やりがいや夢を見失わないよう、私も見習わなければなりません‥‥。

「歴史に学ぶ」を学ぶ

『日本史の論点~邪馬台国から象徴天皇制まで』(中公新書編集部編:中公新書)を読了しました。


高校生の頃、「日本史」と「世界史」は好きな科目でした。

本書は、その「歴史」の面白さと奥深さを再認識させてくれました。

なかでも、大石学・東京学芸大学教授が執筆された「第3章 近世」が面白かったです。

ちなみに、この章での論点は次の7つでした。


 ①大名や旗本は封建領主か、それとも官僚か

 ②江戸時代の首都は京都か、江戸か

 ③日本は鎖国によって閉ざされていた、は本当か

 ④江戸は「大きな政府」か「小さな政府」か

 ⑤江戸の社会は家柄重視か、実力主義

 ⑥「平和」の土台は武力か、教育か

 ⑦明治維新は江戸の否定か、江戸の達成か


そして、これらの論点に関し、次のような記述が強く印象に残りました。

・近世において、将軍や大名など政治権力のトップは、徐々にリーダーシップを失い、

 その一方で、実務官僚の力が強くなった。(これを責任主体の喪失とみれば、いまの日本的体質は

 まさにこの時代にできあがったと言ってもいい。)

・近代東京の一極集中は江戸の一極集中を受け継いだものであり、藩邸は役所に、

 各地の城下町はそのまま県庁所在地となった。江戸(近世)の国家構造・社会構造が、

 そのまま東京(近代)に受け継がれたのである。

江戸幕府の基本にあるのは「仁成」。つまり、民衆をいたわり、慈悲の心をもって接することで、

 弱者救済を心がける「大きな政府」が基本であった。常にセーフティネットを整備し、

 護送船団方式で弱者を守るという考え方である。

・私たちが歴史を見るとき、ともすると、社会がAからBに、0から1に、わずかの間に変わったように、

 つまりデジタル的に見てしまう。しかし、当時を生きていた人々の目には事態の多くは少しずつ連続して、

 つまりアナログ的に変化していた。


先ほど、歴史が好きな科目であることを書きました。

しかし、その勉強法は、教科書の暗記が主体であったと反省しています。

できれば、若い頃から、本書に書かれているような論点について、深く考える姿勢を身につけるべきでした。

「歴史に学ぶ」とはこういうことを示すのだと、遅ればせながら学習した次第です。

贅沢な憂うつ

孫娘は、今月25日で7歳と5か月になりました。

これまで大きな病気や怪我をすることもなく、元気で育ってくれたことに感謝したいと思います。


その孫娘は、昨晩から我が家に泊まっています。

銀行員の娘は、資格取得のための試験が明日の日曜日にあるらしく、

独りで勉強に集中したいとの意向を受けて、妻が連れて帰った次第です。

そして今日、家のなかで退屈そうにしている孫娘を見かねて、

夕方からは散歩がてら、最近、近くに開店したドラッグストアーに買い物に行くことにしました。


一方、今日は、父がデイサービスセンターに通所する日でした。

父が出掛ける姿を見届けた後は、父の布団を干したり、シーツを洗濯をしたりする仕事が待ち受けています。

こうして、自分が自由に過ごせる時間を確保することもままならず、貴重な休日が過ぎ去っていくのです。


そういえば、親と子供の世話を同時に行っている「サンドイッチ世代」という言葉を聞いたことがあります。

よそ様から見ると、長寿の親と可愛い孫に囲まれて、我が家は幸せそうに見えるのかもしれませんし、

事実、そう思うべきなのかもしれませんが、時々、自分は誰のための人生を歩んでいるのか、

恨めしい思いを抱くこともあります。「贅沢な憂うつ」なのかもしれませんが‥‥。


明日は日曜日‥。少し夜更かしをして、本でも読もうかしら?それとも懐かしいフォークでも聴こうかしら?

私は怠け者?

ふぅ~、ようやく今週の勤務が終わりました。

現役の頃は、毎週、金曜日になるとワクワクしたのに、今は、疲労感だけが漂います。

定年退職してから2年半‥‥、私にはフルタイム勤務が、そろそろ重荷になってきました。


さて、今日は4週間に一度の通院の日でした。そのため、午後から仕事はお休みしました。

午後からの診療受付時間には、少し時間的な余裕があったので、久しぶりに大型書店に立ち寄ることに‥‥。

本の背表紙を眺めながら、幸せな時間を満喫していたところ、一冊の本に目が留まりました。

その本とは、「幸福論」(ヒルティ著、秋山英夫訳:角川ソフィア文庫)です。


私は、岩波文庫の「幸福論」(第一部~第三部)を枕元に置いていて、

折に触れてページをめくったりするのですが、

この本は帯封に「ヒルティの幸福論三部作から、代表的部分を抽出した決定版!」と書いていて、

しかも、岩波文庫より活字が大きくて読み易かったので、迷わず購入することにしました。


帰りの通勤電車の中で、さっそく買ったばかりの本のページをパラパラとめくってみると、

懐かしい次のような文章が、いきなり目に飛び込んできました。

『人を幸福にするのは仕事の種類ではなくて、創造と成功の喜びである。

 およそ存在する不幸中での最大の不幸は、仕事のない生活、

 生涯の終わりにおいて仕事の成果を持たない生活である。

 したがってまた労働の権利というものがあるわけなのであって、またなければならぬのである。

 それは、あらゆる人権中最も根源的なものなのである。』


あぁ‥‥神様、ヒルティからすると、フルタイム勤務で弱音を吐く私は、怠け者なのでしょうか‥‥?

「休息を労働のなかに求める」のは、容易なことではありません‥‥よね。(苦笑)

幸福論 (角川ソフィア文庫)

幸福論 (角川ソフィア文庫)

「お言葉」から学んだこと

84歳の誕生日にあたり、皇后さまが宮内記者会の質問に文書で回答された「お言葉」の全文を、

今月20日付けの日経新聞で読みました。

強く印象に残り、かつ、考えさせられたのは、次のような記述でした。


『 ~(略)~ そして振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで、

 どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの、

 というその時に伺ったお言葉のままに、

 陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました。

 義務を一つ一つ果たしつつ、次第に国と国民への信頼と敬愛を深めていかれる御様子を

 お近くで感じとると共に、新憲法で定められた「象徴」(皇太子時代は将来の「象徴」)

 のお立場をいかに生きるかを模索し続ける御姿を見上げつつ過ごした日々を、

 今深い感慨と共に思い起こしています。

 皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした。

 与えられた義務を果たしつつ、その都度新たに気付かされたことを心にとどめていくー

 そうした日々を重ねて、60年という歳月が流れたように思います。

 学生時代よく学長が「経験するだけでは足りない。

 経験したことに思いをめぐらすように」と言われたことを、

 幾度となく自分に言い聞かせてまいりました。』


まず、「日本国憲法における“象徴”とはどういうものなのか」を改めて考えさせられました。

それは、「与えられた義務を一つ一つ果たしていくこと」と、

「象徴としての立場を模索し続ける、まさにその生き方にあること」が、

この私にも少しは理解できたように思います。


次に、「経験するだけでは足りない。経験したことに思いをめぐらすように」という

かつての恩師のお言葉を引用された個所も、ぐっと胸に迫るものがありました。

人生における様々な経験は、それを糧にして、次に生かすことが大切なのですね‥‥。


さらに、天皇・皇后両陛下の、「ご夫婦としての絆の深さ」を感じ取ることができました。

お互いを思いやり、尊敬しあう姿勢というものが、

「お言葉」の行間から、ひしひしと伝わってきます。


右・左のイデオロギーを超え、一人の人間として尊敬・敬愛することができる

天皇・皇后両陛下を持ち、平成という時代をともに生きることができた、日本という国と日本人は、

とっても幸せな国と国民なんだと、皇后さまの「お言葉」を読んで、納得した次第です。