しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「言葉の深い由緒」を探る

一昨日14日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、三島由紀夫

「昔の人は本のなかをじっくり自分の足で歩いたのです。」という言葉で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『現代人は小説を「味わう」ことをしなくなったと、作家は言う。

 車で移動する時のように主題と筋の展開ばかり追い、

 歩きながら足許(あしもと)の言葉の「織(おり)模様」を愛(め)ではしない。

 模様には、語の肌合いだけでなく、漢文調の「極度に簡潔な表現」や

 俳句風の「尖鋭(せんえい)な情緒の裁断」といった手管もある。

 文章を味わう楽しみは「言葉の深い由緒」を探るところにあると。「文章読本」から。』


う~む、なるほど‥‥。

文章を味わう楽しみは「言葉の深い由緒」を探るところにあるですか‥‥。

それがつまり、「本のなかをじっくり自分の足で歩く」ことなのですね‥。

その意味するところは、おぼろげながら分かるような気がします。凡人には難しい所作ですが‥‥。


ところで、三島由紀夫といえば、昨日の日経新聞に、今月の20日から

三島由紀夫vs東大全共闘~50年目の真実」というドキュメンタリー映画

公開されるという広告が掲載されていました。


この映画は、万障繰り合わせて観に行きたい‥‥、今からそう心に決めています。

力強いメッセージ

今日の日経新聞に掲載された「yahoo!JAPAN」の全面広告に目が留まりました。

そこには、「みんなでがんばろう。」のタイトルとともに、次のようなことが書かれていました。


『3.11から9年。

 日本中があの災害を振り返るこの時期に、

 世界中を席巻するウイルスの脅威がやってきた。

 だが、私たちには、数々の苦難に打ち勝ってきた勇気がある。

 あらゆる災害を乗り越えてきた知恵がある。

 そこに立ち向かう人がいる限り、我々は情報を届け続ける。

 この国は、もっと、もっと強くなれる。

 日本の防災を、UPDATEする。YAHOO!JAPAN』


う~む‥‥、とても「力強いメッセージ」だと思います。

利潤の追求だけではなく、企業が持つ社会的使命を、

しっかりと果たしていこうという、決意表明とも受け止めました‥‥。

これからも「迅速で正確な情報」を、私たち国民に届けていただきたいと思います。

この国が、もっと、もっと強くなるために‥‥。

明るい話題が待ち遠しい

気持ちが塞ぎがちな時には、YouTubeで若い頃の曲を聴きたくなります。昨夜はそんな気分でした。

するとどうでしょう‥‥。YouTubeのサイトにアクセスした瞬間に、

「あなたへのおすすめ」として、マイミックスリストを提示をしてくれます。

それは、私の閲覧履歴から選んでいることでしょうから、

当然のことながら、50曲は全部私のお気に入りの曲ばかり‥‥。

ですから昨夜は時間を忘れて、たっぷりとかつての名曲の数々を堪能することができました。


さて、話は変わりますが、昨日13日付けの「溜息通信」の特集は、

「世界経済「リーマン級」事態のリアル 」というタイトルでした。

そのなかで、「かんべえ」さんが、次のようなことを書かれていました。

『‥‥とはいうものの、本誌としては前号でも述べた通り、「山より大きなイノシシは出ない」し、

 「不確実性に直面したときに、真に恐れるべきは恐怖そのものである」と今回の事態を受け止めたい。

 さらに付け加えるならば、「どんなにひどいことでも、人間はかならず それに慣れる」し、

 「やがてそのことに飽き、いつかは忘れてしまう」ものである。

  コロナウイルスは、いずれ回復者の数が増えて「当たり前」のことになるだろう。

 人類 はやがて大多数が抗体を持つようになり、ウイルスと共存するようになるはずである。 』


はぃ、確かに、「かんべえ」さんのおっしゃるとおりかもしれませんが、

「当たり前」になる前に、私たち人類は、

一体どれくらいの犠牲を払わなければならないのでしょう‥‥?

そのことを考えると、やっぱり今日も、気持ちが滅入ります‥‥。

あぁ‥、明るい話題が待ち遠しい‥‥です。

不自由を忍び、出口の光明を待つ

最近、新聞を読んでも、テレビやラジオのニュースに接しても、気が滅入ることだらけです。

株価は続落に歯止めがかからないし、マスクは相変わらず手に入らないし、

楽しみにしていたセンバツ高校野球は中止が決まったし‥‥。

なんだか世の中が、悪い方向へ、悪い方向へと向かっているような気がしています。


そんな暗澹たる気持ちを抱いていたところ、今日の日経新聞一面コラム「春秋」に、

次のようなことが書かれていました。

『‥‥ギリシャ語の「すべて」と「人々」が語源のパンデミック世界保健機関(WHO)が宣言した。

 株価は大きく下落し、各国の渡航制限で人の出入りがとどこおる。

 グローバルな規模で経済の基礎体力が奪われるうえ、スポーツや文化活動も中止が相次ぎ、

 世の中から感動やうるおいが消えゆく。未体験のトンネルである。

 ひとりひとりが少しずつ不自由を忍び、出口の光明を待つしかないのだろう。

 ちなみに清水寺の本尊は千手観音。

 他人の苦しみや喜びを我がこととして理解する、という人間の理想を教えているという。

 こんな時だからこそ、観音さまにならい、人と接したいものだ。

 月改まり、笑顔でスタートできる世になりますように。』


「世の中から感動やうるおいが消えゆく」とは言っても、

足元を見つめ直すと、自然界の営みには変わることがありません‥‥。

我が家の中庭でも、私の知らない間に、ご覧のような花が咲いていました。

f:id:miyoshi_s:20200313200307j:plainf:id:miyoshi_s:20200313200323j:plain

「花オンチ」の私は、花の名前が分かりません‥‥。

ですが、こんな世の中でも、四季折々の草花を愛でる余裕だけは、失わないようにしたいと思っています。

それでも歩みを止めない

東日本大震災の発生から、今日で9年です。

今日の日経新聞一面コラム「春秋」を、後日のために、この日記に書き残しておこうと思います。


『きらめく太平洋、次々にあらわれる小さな入り江、ウミネコの群れ。

 三陸海岸をめぐると、いつも目に飛び込んでくる景色である。

 風光明媚(めいび)という言葉が、これほど似合う地方もないだろう。

 なのにあの日、その海が沿岸の町や村に襲いかかり、たくさんの命を奪った。

 東日本大震災の発生から、きょうで9年になる。

 被災地を歩いて胸に迫るのは、ふだんの海の穏やかさと、津波の傷痕との大きな落差だ。

 復興が思うにまかせない地域が多々ある。かさ上げした土地の、漠とした広がり。

 重機がうなり、土ぼこりが舞う。

 9年もの歳月を経て、こういう光景にいまもあちこちで出合うのだ。

 せっかく宅地ができたのに、多くの住民がそこに戻らない。

 資力のある人たちはとっくに高台に新しい家を建てた。

 そもそも高齢化が進んで、まちづくりの担い手がいない。

 被災地で耳にするのは、こんな厳しい話である。

 この現実を見るにつけ、南海トラフ地震が起きたあとの日本はどうなるかとやりきれぬ思いが募る。

 市街地が根こそぎ失われた宮城県南三陸町志津川地区‥‥。

 やはり苦闘が続くここを何度も訪れて知らされるのは、

 それでも人々は再生への歩みを止めないことだ。

 防災対策庁舎の遺構を見下ろす震災復興祈念公園も、一部が開園した。

 あの日、荒れ狂った志津川湾に向きあうモニュメントには「碧(あお)き海に祈る」とある。』


9年前の今日、テレビを通じて見た、津波が次々と家屋を破壊する衝撃の映像は、

どれほど年月が経過しても、決して忘れることはありません。

こちら愛媛では、南海トラフ地震で多大な人的・物的被害が想定されていますが、

その時に備え、あの日、私がこの目で見た光景は、この年の5月に生まれた小学二年生の孫娘に、

機会があるごとに語り継ぎたいと思っています。


そして今、私たちは、新型コロナウイルスという、この目で見ることができない、

また、その終息が見通せない、自然災害とは異なる「新しい恐怖」と闘っています。

今度は、世界規模で起こった今回の出来事を、自らの目に焼き付けた孫娘が、

次の世代に、その教訓をしっかりと語り継いでくれると思います。