しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

ユーモアの感覚を忘れずに

昨日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、チェコの作家・カレル・チャペック

『歴史は「誰かが何かをなすべきである」と提案する人よりも、

むしろ「何かをしている人」を必要とするのです。』という言葉でした。


この言葉で思い出したのは、「ラ・ロシュフコー箴言集」(岩波文庫)にある

「人は忠告は与えるが行いは一向に授(さず)けない。」という言葉でした。

言葉の表現はそれぞれ違っても、その「本旨」は同じではないかと感じた次第です。


そして、今日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」も、

昨日に引き続き、チェコの作家・カレル・チャペック

「歴史の大きな、地をゆるがすような哄笑(こうしょう)は底辺からわき上がってくる」という言葉で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『富裕な人より貧しい人のほうが、幸福な時より苦境にある時のほうが、

 よく冗談を飛ばすものだと、チェコの作家は言う。

 支えあわなければ生きていけない人たちの平等で屈託のない「仲間意識」が、

 生存の苦痛をなだめるためにユーモアの感覚を紡ぎだしたのだと。

 被災地やホスピスの現場に本当に必要なのもそれかも。

カレル・チャペックの闘争」(田才益夫訳編)から。』


う~む、なるほど‥。生存の苦痛をなだめるには、ユーモアの感覚が必要なのですね‥‥。

冬空の低く垂れこめた雲のように、日々、重苦しいニュースが続いていますが、

どんなに苦しい局面でも、心まで荒(すさ)んでしまわないように、お互いに気を付けたいものです。

「覚悟」という二文字

昨日に続き、今日も朝日新聞一面コラム「折々のことば」から‥‥。

今日は、チェコの作家・カレル・チャペック

『歴史は「誰かが何かをなすべきである」と提案する人よりも、

 むしろ「何かをしている人」を必要とするのです。』という言葉で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『時代の課題を指摘する時は雄弁なのに、

 いざ誰がその実行にあたるかとなると想像力もとたんに貧弱になると、チェコの作家は言う。

 「問題はそんなに単純ではない」とまた指摘を重ねるのだが、

 必要なのはそれぞれの生きる場所で、課題を一つ一つ具体的に解決してゆく覚悟だろう。

 「カレル・チャペックの闘争」(田才益夫訳編)から。』


う~む、なるほど‥‥。

政府は新型コロナウイルスの感染拡大に対応するため、

今月7日にも東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県を対象に、緊急事態宣言を再び発令するそうです。

期間は1カ月程度を想定しているとか‥。

そんなコロナ禍のなか、今日の言葉はズシリと重く、私たちにのしかかります。


「必要なのはそれぞれの生きる場所で、課題を一つ一つ具体的に解決してゆく覚悟だろう。」

「覚悟」ですか‥‥。

これ以上の感染拡大を防ぐためには、国民一人ひとりに、この「二文字」が必要な気がしてきました。

思考法か、それとも信仰か

今日4日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、文筆家・平川克美さんの

「経済合理的」に考えることは、単なる思考法の一つだが、

 すべてのことを経済合理的にしか考えないのは信仰である。』という言葉で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『合理的に考え、ふるまうことは重要だが、

 合理性には科学的、医学的、経済的など時に対立する種々の見地がある。

 「経済合理性」が他の合理性を呑(の)み込み、

 しかも「極めて短期的な利益の最大化のための道具」と化している社会は、

 歪(いびつ)で、だからひどく脆(もろ)いと文筆家は言う。

 論考「止(や)むを得ず、贈与経済。」(「ちゃぶ台」秋/冬号)から。』


今、昨年末に購入した「経済学の思考法」(佐伯啓思著:講談社学術文庫)を読み進めています。

このコラムを読んで、本の著者・佐伯先生も、

同じような趣旨のことを述べられているのではないかと、今の時点では感じています。

読み終わったら、この日記に読書感想文を書きたいと思います。

「奇跡の時代」に育った主人公と私‥‥

年末年始の休暇中に、『おもかげ』(浅田次郎著:講談社文庫)を読了しました。


定年の日の帰りに地下鉄で倒れた小説の主人公は、昭和26年生まれの65歳‥‥。

今年3月に2度目の退職を迎える私は、昭和30年生まれの65歳‥‥。

なんだか自分のことのように、主人公に親近感を抱きながら、物語を読み進めました。

椿山課長の七日間』と同じような切ない物語でしたが、私は特に、次のような記述が印象に残りました。


『自分がどれほど幸福な人間であるかを、僕は知っている。

 人類史上最も幸福な場所と時代に、生まれ合わせたからである。

 めくるめく高度経済成長の中で、「苦労」という言葉は死語となった。

 戦争はなかった。機会は均等だった。宿命的な困難には最大限の援助があった。

 そうした時代における「苦労」は、比喩的な表現か、さもなくば「努力不足」という意味だったと思う。

 少なくともそう考えなければ、幸福な僕らは過酷な歴史に対する責任を負えない。』


『定年退職という人生の区切りには、そうした重要な意味があるのかもしれない。

 別世界になってしまった会社での出来事など、どれほど取り返しようのないエラーであったにしても、

 今はすべてを笑い話にできる。

 顧みたところで、かつての会社は僕のささやかな未来とはまるで無縁の天体に過ぎない。』


『戦後復興の余勢を駆った、めくるめく高度経済成長の時代である。

 自分が奇跡のなかで育ったと知ったのは、経済学の原理を学んでからだった。』


「自分がどれほど幸福な人間であるかを、僕は知っている。

 人類史上最も幸福な場所と時代に、生まれ合わせたからである。」

人生の終わりを迎えたとき、たぶん私も、主人公と同じような感想を抱くような気がします。

おもかげ (毎日新聞出版)

おもかげ (毎日新聞出版)

肩が凝りました

緊張のあまり、肩が凝ってしまいました。

ラグビー全国大学選手権準決勝の第一試合、早稲田は帝京に33対27で辛くも勝利しました。

いゃあ~、それにしても、FB・川瀬選手の個人技には惚れ惚れしました。


そして。第二試合の明治対天理は、明治の勝利を信じて疑いもしなかったけれど、

結果は、41対15で天理が快勝しました。

明治の勝利を確信していただけに、意外な結末となりました。

この試合は、天理のディフェンス面での集中力が素晴らしかったと思います。


さぁ、次の決勝は、今月11日に国立競技場で行われ、

早稲田は17度目の大学日本一、天理大は初の頂点を目指すことになります。

この試合が行われる前に、コロナの緊急事態宣言が発出されそうな雰囲気なのですが、

なんとか、戦いが始まる前から名勝負となりそうな予感がする試合を、是非実現してほしいと願っています。