年末年始の休暇中に、『おもかげ』(浅田次郎著:講談社文庫)を読了しました。
定年の日の帰りに地下鉄で倒れた小説の主人公は、昭和26年生まれの65歳‥‥。
今年3月に2度目の退職を迎える私は、昭和30年生まれの65歳‥‥。
なんだか自分のことのように、主人公に親近感を抱きながら、物語を読み進めました。
『椿山課長の七日間』と同じような切ない物語でしたが、私は特に、次のような記述が印象に残りました。
『自分がどれほど幸福な人間であるかを、僕は知っている。
人類史上最も幸福な場所と時代に、生まれ合わせたからである。
めくるめく高度経済成長の中で、「苦労」という言葉は死語となった。
戦争はなかった。機会は均等だった。宿命的な困難には最大限の援助があった。
そうした時代における「苦労」は、比喩的な表現か、さもなくば「努力不足」という意味だったと思う。
少なくともそう考えなければ、幸福な僕らは過酷な歴史に対する責任を負えない。』
『定年退職という人生の区切りには、そうした重要な意味があるのかもしれない。
別世界になってしまった会社での出来事など、どれほど取り返しようのないエラーであったにしても、
今はすべてを笑い話にできる。
顧みたところで、かつての会社は僕のささやかな未来とはまるで無縁の天体に過ぎない。』
『戦後復興の余勢を駆った、めくるめく高度経済成長の時代である。
自分が奇跡のなかで育ったと知ったのは、経済学の原理を学んでからだった。』
「自分がどれほど幸福な人間であるかを、僕は知っている。
人類史上最も幸福な場所と時代に、生まれ合わせたからである。」
人生の終わりを迎えたとき、たぶん私も、主人公と同じような感想を抱くような気がします。