「経済学の犯罪〜稀少性の経済から過剰性の経済へ」
(佐伯啓思著:講談社現代新書)を読了しました。
本のタイトルは過激ですが、
佐伯先生の著作らしく、中身はとてもレベルの高い本だと思います。
全体を通じての感想は、
第8章の「「貨幣」という過剰なるもの」が、あまり理解できませんでした。
特に、「クラ交換」とか「ポトラッチの原理」とかは、何回読んでもチンプンカンプン。
私の能力が足りないことは自覚していますが、
この章だけは、別人が書いているような気がしました。
佐伯先生がもっとも主張したい部分と思われるだけに、理解不足を申し訳なく思います。
いつものように、本の中で参考になった記述をこの日記に残しておきます。
『結局、経済的思考をめぐる対立軸は二つある。
一つは「自由放任」か「介入」かの対立であり、
もうひとつは「不確実性」か「確実性」かという対立である。
重商主義とスミスの自由主義の対立は「介入」か「自由放任」かの対立に見えるが、
経済の基盤を「不確実性」に置くか「確実性」に置くかの対立とも見なされる。
スミスの自由主義とケインズの対立も「自由放任」か「介入」かとも見なされるが、
しかし「確実性」の探究という点では同じなのである。
私には、従来の「自由放任」か「介入」かよりも、
経済を「不確実性」に依拠させるか、それとも「確実性」に基礎づけるかのほうが
はるかに重要なものと思われるのだ。』
『エマニュエル・トッドは、
「民主主義」と「グローバル経済」は両立しえないと主張しているが、
これはまったく正しい。
さらに踏み込んで彼は、大衆の不満は、
民主主義のなかからやがて独裁を生み出し、民主主義が停止されるだろう、
と述べているが、これはかなりの蓋然性を持っている。
もちろんそのことをトッドは歓迎しているのではなく、警鐘を鳴らしているのだ。
だから、民主主義を守るために、
グローバル経済のレベルを落とすべきことを主張するのである。』
一度立ち止まって、「ナショナル・アイデンティティ」について考えることを
読者に勧めている本だと思います。
経済学の犯罪 稀少性の経済から過剰性の経済へ (講談社現代新書)
- 作者: 佐伯啓思
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/08/17
- メディア: 新書
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