このところ、新聞紙面は衆院選挙一色です。
この日記のネタも必然的に選挙に関することが多くなっています。
逆に言うと、新聞ネタ以外のネタを持っていない自分が情けなくなります。
トホホ…。
さて、衆院選挙の各党各候補者の主張に耳を傾けるにつけ、
なぜか「漠然とした違和感」がありましたが、
昨日(5日)の日経新聞に掲載された、
芹川洋一論説委員長の『「明日の日本」判断を』という記事を読んで、
ようやくその正体が判明しました。
『なにかがすっぽり抜けおちているような気がしてならない。
政党がしのぎをけずる選挙だから、原発をはじめ、おたがいに異なる点を、
ことさら強調して、ぶつかりあうのはしかたがない。
だが、今、本当に問われているのは、ちょっと違うのではないか。
「反」「脱」「卒」……
いろんなものを否定ばかりしていて、その先をどうするつもりなのか。
たしかに脱近代で、つつましやかに生きていくのもひとつの考え方かもしれない。
しかし、子や孫の代まで豊かで自由な生活を営むためには、
一流国家で踏みとどまろうとする頑張りがいるにちがいない。』
そう、そう、そうなんです。
やたらと、「反」や「脱」が多すぎるのです。
そのくせ、「反」や「脱」の対案が、具体的に示されているとはとても思えないのです。
漠然とした違和感の正体は、対案を示さない主義・主張にあったのです。
芹川論説委員長の記事は、次のように続きます。
『将来の経済社会のすがたを全体として示す必要があるはずだ。
政党には、明日の日本をたしかなものにするための
大きな物語を語ってもらわないと困る。』
そして、『有権者の側にも、チェックポイントが少なくとも3つはいる。』
と芹川論説委員長は指摘されています。
第1は、過去の業績評価
第2は、将来への期待
第3は、政党のあり方
この3つのチェックポイントをこの日記で書くと長くなりますから
詳しい内容は原文を参照していただくとして、
「大きな物語を語ること」は、よほどの力量がないとできないことだと思います。