今月5日の産経新聞「正論」に掲載された
長谷川三千子・埼玉大学名誉教授の
『「危険」だという言葉の危険性』という論評を読んで、
自分の思慮のなさが恥ずかしくなりました。
長谷川先生は、
国内の失政から国民の目をそらすため、
隣国に理不尽な言いがかりをつけて領海侵犯をくり返す
「危険なナショナリズム」を持った国に対して、
その危険をふせぐために相手のご機嫌をとり続け、
すべてを譲り続けるのが一番安全なのだろうか?、と疑問を呈された上で、
次のように述べられています。
『実は、話は全く逆で、
国家の常日頃の毅然とした外交姿勢や、
国境、領海保全の不断の努力というものは、
戦争という最大の危険をふせぐために不可欠の防壁なのです。
これは、野生動物が自分の縄張りに
絶えず匂い付け(マーキング)をして不必要な衝突を避けるのと全く同様の営みです。』
う〜ん、参りました。私が浅はかでした。
私なんぞは、自分自身が小心者のせいか、
社会生活の中でも他人と衝突するのを避けようとして、
どちらかというと曖昧模糊な解決を探ろうとするタイプなので、
対中国という外交に関しても、
「棚上げ」による解決が一番穏便な方法ではないかとずっと思っていました。
長谷川先生の論評を読んで、
自国の毅然とした外交姿勢に対して
「危険なナシャナリズム」という唱え言葉を投げることは、
また「危険」であることがよく理解できました。
つくづく「危険」という言葉には「魔力」があるのですね。
長谷川先生が指摘されている
「よほど冷静で肝のすわった政権」は、果たして今回の選挙で実現するのでしょうか?