しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「危険」という言葉について考える

今月5日の産経新聞「正論」に掲載された
長谷川三千子埼玉大学名誉教授の
『「危険」だという言葉の危険性』という論評を読んで、
自分の思慮のなさが恥ずかしくなりました。

長谷川先生は、
国内の失政から国民の目をそらすため、
隣国に理不尽な言いがかりをつけて領海侵犯をくり返す
「危険なナショナリズム」を持った国に対して、
その危険をふせぐために相手のご機嫌をとり続け、
すべてを譲り続けるのが一番安全なのだろうか?、と疑問を呈された上で、
次のように述べられています。

『実は、話は全く逆で、
 国家の常日頃の毅然とした外交姿勢や、
 国境、領海保全の不断の努力というものは、
 戦争という最大の危険をふせぐために不可欠の防壁なのです。
 これは、野生動物が自分の縄張りに
 絶えず匂い付け(マーキング)をして不必要な衝突を避けるのと全く同様の営みです。』

う〜ん、参りました。私が浅はかでした。
私なんぞは、自分自身が小心者のせいか、
社会生活の中でも他人と衝突するのを避けようとして、
どちらかというと曖昧模糊な解決を探ろうとするタイプなので、
対中国という外交に関しても、
「棚上げ」による解決が一番穏便な方法ではないかとずっと思っていました。

長谷川先生の論評を読んで、
自国の毅然とした外交姿勢に対して
「危険なナシャナリズム」という唱え言葉を投げることは、
また「危険」であることがよく理解できました。

つくづく「危険」という言葉には「魔力」があるのですね。
長谷川先生が指摘されている
「よほど冷静で肝のすわった政権」は、果たして今回の選挙で実現するのでしょうか?