今の自民党の国会議員の先生方には、
この論評を、是非、心して読んでいただきたいと思います。
今日(24日)の産経新聞「正論」に、
雪斎先生こと、櫻田淳・東洋学園大学教授が、
『「一人横綱」に失政あれば国沈む』という論評を投稿されていました。
できれば全文をこの日記に残しておきたいぐらいの気持ちなのですが、
そういう訳にもいかないので、重要な個所のみ、以下、抜粋して記録しておきます。
・先刻の参議院議員選挙の結果は、昨冬の衆議院議員選挙の結果と併せれば、
新たな装いでの「55年体制」の到来を予見させる。
・今後の自民党の政治姿勢においては、
「55年体制」末期を彩ったような慢心、驕慢、安直は無論のこと、
「何でも手がけられる」といった類いの独善が浮かび上がるようなことは、
厳に慎まなければならないであろう。
・新「55年体制」の下では、憲法改正に向けた機運は盛り上がるであろう。
しかし、憲法それ自体は、従来、「護憲」標榜(ひょうぼう)層が信じてきたようには
「平和」を担保しないのと同様に、
「改憲」標榜層が願ったようには「国家の独立や威信」も担保しない。
・国家の「独立」を万全なものにしたければ、相応の「力」の裏付けが要る。
ここでいう「力」とは、軍事、経済・産業・技術、外交・対外広報、
文化・スポーツ・芸術に至る広範なものの総称である。
・筆者は、自民党に対しては、前に触れたように、
「自民党の失政は、『政権の喪失』ではなく『国家としての沈没』を招く」という認識の下、
執政に臨むように期待する他はない。
雪斎先生は、今回の選挙で大勝した自民党を「一人横綱」にたとえています。
そして、「一人横綱」としての自民党の失政は、
単なる「政権交代」や政局の混迷ではなく、
日本の国家としての総体的な沈没に結び付くと指摘されています。
『「一人横綱」の力士は、
専ら自己省察や自己鍛錬だけを支えにして、代わりのいない土俵を務めるのである。
「一人横綱」の重圧は、そうした孤独に耐えていく姿勢にこそ、強調されるものであろう。』
う〜ん、なるほど。
やはり、横綱は東西にそれぞれ一人いるのが、本来のあるべき姿ですよね。
「横綱」がいなくなってしまった野党から、
再び「横綱」が登場するのは、一体いつのことになるのでしょうか…?