日経新聞では、松本紘・理化学研究所理事長の「私の履歴書」が連載中です。
その第4回目で松本さんは、
『ひよこ物語〜母の手作り絵本は宝物』と題して、
教育熱心なお母さんの思い出を綴られていました。
そのなかの次の文章を読んで、私も亡き母のことを思い出しました。
『自宅には母がずっと保管し続けてくれた
小さい時の絵日記や図画工作の作品もある。
ひよこ物語と併せ、私の大切な宝物だ。
子ども時代は貧しかったが、
厳しくも愛情を持って接してくれる家族らに囲まれ、
幸せな暮らしをしていたと思う。』
母が嫁入りした時、
私が生まれる前年に亡くなった祖父が建てた家には、
私の曾祖母、祖母、叔父,叔母が同居していたそうです。
叔母は、そのときまだ中学生でした。
祖父亡き後、一家の大黒柱として懸命に働いた父は立派だったと思いますが、
家族の家計を陰で支えてきた母は、もっと立派だったと思います。
私が幼稚園の時に、父の転勤で県外に転居してからも、
病弱な身体にもかかわらず、
細々と内職をしながら、母はずっと実家の曾祖母と祖母に仕送りを続けていました。
このように、我が家も松本さんと同じように貧しかったのですが、
母という偉大な存在に助けられて、私は幸せな子供時代を送ることができました。
そして、還暦になる今年、我が身を振り返ると、
私の人生の行動哲学は、幼いころから、
「とにかく病弱な母に心配をかけないようにしよう、
なるべく苦労をかけないようにしよう」ということだった……はずでした。
ところが、大学受験には失敗し、大学は留年し、
社会人になっても、たびたび病気で入院し……。
本人の偽善的な思いとは裏腹に、母にはそのたび、
金銭的にも精神的にも苦労と心配をかけてきました。
妻には、「お母さんが早死にしたのは、あなたが苦労をかけたからだ」と
なにかにつけて言われます。
全くもってそのとおりで、返す言葉もありません…。
ですから、私は毎朝、仏壇の母の遺影に誤り続けているのです。