毎週日曜日、日経新聞の「こころの健康学」を楽しみに読んでいますが、
そのコラムの執筆者である認知行動療法研修開発センターの大野裕さんが、
愛媛県大洲市の出身であることを知って、にわかに親しみを覚えた次第です。
大野さんは、中学に進学するときに、松山市の私立愛光中学に進むことになり、
親元を離れて下宿生活を始めたそうです。
大野さんは、その時に見た松山城のライトアップが、
とくに悲しい記憶に残っているとして、次のように述べられていました。
『世話になっていた下宿の窓から見える松山城はとてもきれいで、
夕食を終えた後、毎晩、ライトアップを眺めていた。
ところが夜の9時になると光が突然消えて、山が真っ暗になる。
その瞬間、目から涙がこぼれ落ち、胸が押しつぶされそうになる。
私は、つらい気持ちのまま泣きながら時間を過ごした。』
中学1年生といえば、まだ親に甘えていたい年頃だと思います。
にもかかわらず、親元を離れて全国でも有数の進学校で孤軍奮闘するのは、
とても辛い体験だったと拝察します。
私も似たような経験があります。
大学受験に失敗し、京都で浪人生活を送っていたとき、
大文字焼きの赤い炎がやけに悲しく見え、
故郷の家族や友人のことを思い出し、自分がやけに情けなくなって、
涙を流した記憶があります。
情けないことに、当時18歳の私でも、このような精神状態でした。
大野さんは、当時は「うつ状態」だったと振り返られていましたが、
それでも不登校にならなかったのは、
同級生の存在が大きく、学校は大切な居場所であったとして、
次のように述べられていました。
『このように、こころを支える居場所があるかどうかで
私たちのこころの状態が大きく変わる。
学校でも企業でも、新年度の新しい環境が
そうした居場所になるかどうかでこころの健康状態は変わってくる。』
さて、私にとって新しい職場は、「こころを支える居場所」となるのでしょうか?
こころのバランスを保つのは、歳を重ねてもなお、
大変な作業であることは間違いありません。