しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

トウホクノユキフカシ

認知行動療法研修開発センターの大野裕先生が連載・執筆されている

日経新聞「こころの健康学」をいつも楽しみに読んでいますが、

昨日12日の「こころの健康学」は、『浪人生活 劣等生も悪くない』というタイトルで、

大野先生は次のようなことを書かれていました。

私と似たような体験をされていたので、その全文を引用させていただきます


『1月、東京にも大雪が降った。

 屋根や道路に積もった雪を眺めると、雪が降りしきる中、

 大学の合格発表を遠くまで見に行ったことを思い出す。

 私は愛媛県出身だが、最初に受験したのは雪国の大学だった。

 自分の偏差値と、脳科学を勉強したいという夢と、

 そしてその土地への憧れがあって選んだ大学だ。

 試験が終わったときに十分な手応えを感じたこともあって、

 受験発表を自分の目で確かめたいという思いで、その大学まで足を運んだ。

 雪が降りしきるなか、掲示板のあるキャンパスに向かったが、

 その途中で耳に入ってきた音楽まで、はっきりと耳に残っている。

 それだけ気持ちが高揚していたのだろう。

 ところが、掲示板を見ても、自分の受験番号は合格者の中になかった。

 がくぜんとしながら降りしきる雪のなかに立ち尽くした。

 そこから私の浪人生活が始まったのだが、3年も受験を続けたと人に話すと、

 どうしてそこまで頑張れたのかと、半分あきれたように、

 半分感心したようにいわれることが多い。

 自分でもその理由はよくわからないが、

 浪人中の勉強が楽しかったこともあるのではないかと考えている。

 ある時期まで劣等生だった私にとって、予備校で習うことは新鮮だった。

 おそらく高校時代にも勉強したことなのだろうが、きちんと頭に入っていなかったのだろう。

 2度目の勉強になるので、これまでとは違いよくわかる。

 わかることが増えるとうれしくなり、もう少し勉強したいと考えるようになる。

 そのように考えると、劣等生も悪くなかったのではないかとさえ思えてくる。』


大野先生と私の共通点は、私も愛媛県の出身で、最初は雪国の大学を受験したこと

その大学を選んだ理由は、自分の偏差値と、法学を勉強したいという夢と、

その土地への憧れがあったこと。

そして、見事に試験に落ちて、浪人生活を送ることになったこと。


また、大野先生と違うところは、電報で不合格の通知を受け取ったこと。

(電文は確か、「トウホクノユキフカシ サイキイノル」だったように記憶しています。)

浪人生活は1年ですんだけれど、浪人中の勉強は、私には苦痛そのものであったこと。


大野先生のように、浪人中も新鮮な気持ちで楽しく勉強していれば、

そのあとの私の人生も、もっと違ったものになっていたかもしれません‥‥。(苦笑)