昨日26日の日経新聞「こころ」欄に掲載された、
作詞家・なかにし礼さんへの「歌謡曲と昭和」と題したインタビュー記事は、
とても深くて重みのある記事でした。
記事を読んで驚いたのは、
黛ジュンさんの『恋のハレルヤ』や、弘田三枝子さんの『人形の家』が、
なかにしさんの戦争体験から生まれた曲であるということです。
まず、『恋のハレルヤ』の「♪愛されたくて愛したんじゃない」という歌詞は、
なかにしさんの愛するふるさと、満州に対する恋歌であること。
次に、『人形の家』の「♪愛されて捨てられて、
忘れられた部屋のかたすみ、私はあなたに命をあずけた」という歌詞の底にも、
満州からの引き揚げの体験があること。
また、この『人形の家』の歌い出し、
「♪顔も見たくないほど、あなたに嫌われるなんて」の
歌詞に込められた思いについて、なかにしさんは次のように述べられていました。
『1945年8月14日、日本の外務省は在外邦人について
「できる限り現地に定着させる」との方針を出しています。
帰ってくるなということですよ。 ~(略)~
日本国民や日本政府から顔も見たくないほど嫌われるなんて……
という思いがあったわけです。』
う~む、そうだったのですか…。
この二つの名曲が流行ったのは、私が小学生から中学生にかけての頃でした。
当時の私はまだ子どもですから、
大人の歌詞の「意味」が分からないのは当然のこととしても、
戦争体験を恋愛に置き換えた作詞家の「思い」も知らないままに、
曲を軽く口ずさんでいたことになります。
そして、このインタビュー記事では、
食道がんで生死をさまよう体験をされたなかにしさんが、
「日本的霊性」が日本の歌謡曲を作るうえでも一つのカギになるとして、
次のように述べられていました。
『日本的霊性とは何かといえば土なんです。
どの民族にも霊性はあるし、日本人にも縄文時代から霊性はあるけれど、
文化として花開いたのは鎌倉時代。
一所懸命に土を耕し、農民と交わる武士の時代が来て、土に目覚めた。
現代の日本人も、そうしたことをもっと意識してもいいと思うし、
歌を書くうえでも大切なことだと感じています。』
『日本的霊性』は仏教学者・鈴木大拙の著書で、なかにしさんの愛読書だそうです。
なかにしさんは、私たちは今も無意識のうちに「日本的霊性」を持つ、
とおっしゃっていました。
昭和の名曲に、今も心を揺さぶられるその訳が、少し分かったような気がします。