昨日は職場の歓送迎会で、この日記もお休みでした。
そして今日は、久しぶりに散歩し、西の海岸まで行ってきました。
風がやや強かったものの、海は穏やかに見えました。(写真を添付しました)
このひと夏で、砂浜には大量のゴミが漂着していました。
漂着ゴミの処理も、最近は深刻な問題になっていると聞き及んでいます。
さて、話は変わりますが、
昨日26日が記念すべき500回目の言葉でした。
その言葉とは、音楽学者・大久保賢さんの次のような言葉で、
節目の回に相応しい内容でした。
『求められるのは「創造性」よりも、既存のものを活(い)かす「創意」である。
……「発明」することではなく、「発見」することである。』
そして、いつものように、鷲田さんの次のような解説がありました。
『未(いま)だ誰も聴いたことのない音楽を求め、
逆に隘路(あいろ)に入ったと評される現代音楽に向けて、音楽学者はこう記す。
「刷新」への強迫の中で見捨てられたものにもまだまだ可能性は潜んでいると。
右肩上がりなどもはや望むべくもない社会に求められているのも、
ありあわせのもの、眠っているものを活用する術(すべ)であろう。
「黄昏(たそがれ)の調べ」から。』
う~む、「創造」より「創意」、「発明」より「発見」ですか…。
含蓄に富んだ言葉ですね。
「創造より創意」といえば、ちょっと主旨は違うかもしれませんが、
佐々木常夫・元東レ経営研究所社長の
『プアなシノベーションより優れたイミテーション』という言葉を思い出します。
私も、これからは、
「ありあわせのもの、眠っているものを活用する術」を習得して、
人生という山を、ゆっくりと下って行かなければなりません。