『しんがりの思想~反リーダーシップ論』(鷲田清一著:角川新書)を読了しました。
読み終わると付箋だらけになっていましたが、
その中から、「しんがり」という「思想」に触れている二箇所を、
この日記に書き残しておきたいと思います。
『社会がいやでも縮小していく時代、
「廃」炉とか「ダウン」サイジングなどが課題として立ってくるところでは、
先頭で道を切り開いてゆくひとよりも、
むしろ最後尾でみなの安否を確認しつつ進む
登山グループの「しんがり」のような存在、
退却戦で敵のいちばん近くにいて、
味方の安全を確認してから最後に引き上げるような「しんがり」の判断が、
もっとも重要になってくる。』
『リーダーになろうと心がけるより先に、
まずは賢いフォロワーになれるよう心がけておくこと。
だが、いざ担がれたときは限られた期間であれ、
引き受けられる準備を日頃からしておくこと。
そのことを、亡くなる直前の梅棹忠夫はこんな言葉に約めて語っていたー。
「請われれば一差し舞える人物になれ」』
鷲田さんはこの本の「はじめに」で、『リーダー論、リーダーシップ論というのは、
いまわたしたちがこの社会で直面しているほんとうの課題を
むしろ押し隠すというふうにしか機能していないのではないか。』
とおっしゃっていました。
最後まで読んで、その主旨がなんとなく理解できたような気がします。
巷溢れる「リーダーシップ論」について、改めて考えさせられる内容でした。
ちなみに私は、現役時代は「リーダー」、「しんがり」、
そのどちらにもなることができませんでした……。