昨日に続いて、朝日新聞一面コラム「折々のことば」の感想です‥‥。
「一言でいってしまえば、私は化粧する女が好きです。
そこには、虚構によって現実を乗り切ろうとするエネルギーが感じられます。」という言葉で、
鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『化粧は自己陶酔でも小市民的な贅沢(ぜいたく)でもなく、むしろ「ゲーム」であって、
人生を支える力が想像力にあることの証(あかし)だと、演劇家・歌人は言う。
そして「たかが人生じゃないの」というほどの余裕すらときに感じると。
くわえて私は、会った相手のまなざしをデコレートしてあげる行為だという考え方も好きだけれど。
「青女(せいじょ)論」から。』
今日も、私には考えも及ばないような言葉のオンパレードです。
化粧は、「虚構によって現実を乗り切ろうとするエネルギー」とか「ゲーム」とか‥。
さらに、「たかが人生じゃないの」とか「会った相手のまなざしをデコレートしてあげる行為」とか‥。
「デコレート」という言葉をネットで調べてみると、
「何かに物事を付け足すことによって、より素敵に見えるようにすること」、
動詞で「飾る、装飾する」という解説がありました。
ということは、化粧は「化粧をしている女性をみる異性の、まなざしを素敵にしてあげる行為」
という、つたない理解でよろしいのでしょうか‥‥?
「化粧という行為の奥深さ」を改めて認識しました。化粧は人生そのものなのですね‥‥。
そういえば、愛読書の『寺山修司少女詩集』(角川文庫)に、
『美しい女には、どこかわざとらしさが必要である。
化粧、饒舌、技巧、仮面‥‥そして、そのかげにひそむ、はっとするほどの無垢の心。
遊びのきらいな女に、美しい女はいない。
詩を解さない女、ベッドのきらいな女にも、美しい女は、いない。
「美しい女とは、美しい女になろうとする女のことである」』という名言がありました。
ご参考までに‥‥。