しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「処暑」の日の雑感

梅雨のようなお天気がようやく終わったと思ったら、強い日差しとともに厳しい暑さが戻って来ました。

我が家の庭のヤマモミジから聞こえていた、やかましいほどの蝉の大合唱はすっかり鳴りを潜め、

ツクツクボウシの鳴き声が、時々、思い出したように聞こえてくるだけになりました。


さて、今日から二十四節気の「処暑」‥。「こよみのページ」のHPには、

処暑は暑さが止むと言う意味。萩の花が咲き、朝夕は心地よい涼風が吹く頃」との解説があります。

その「心地よい涼風」が待ち遠しいです‥‥。


ところで、今日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、寺山修司さんの

「私たちの時代に失(うし)なわれてしまっているのは「幸福」ではなくて、「幸福論」である。」

という言葉で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『幸福を意味へと還元し、その代償体験を与えるだけの幸福論が幸福を貧相にしてきたと歌人・演劇家は言う。

 幸福を肉体でもって燃焼させるよう人を誘(いざな)うのが真の幸福論。

 だから幸福について語るときは、「ことばは鳥のように自分の小宇宙をもって、羽ばたいてほしかった。

 せめて、汽車の汽笛ぐらいのはげましと、なつかしさをこめて」と。「幸福論 裏町人生版」から。』


う~む、なるほど‥‥。

「幸福を肉体でもって燃焼させるよう人を誘(いざな)うのが真の幸福論」ですか‥‥。

世にはたくさんの「幸福論」が溢れているけれど、そう言われてみれば、

肉体でもって燃焼させてくれるような「幸福論」には、いまだお目にかかっていないような気がします。

古びたヒルティの「幸福論」(岩波文庫)は、もう何年も第一部で止まったままだし‥‥。