今月22日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、福永文夫さんの
『政治はあくまで「お手伝い」の役割を超えてはならない』という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『日本政治史家は、その著『大平正芳 「戦後保守」とは何か』の中で、
この元首相の信念はここにあったと言う。
社会をコーラスに喩(たと)えた大平の文章を引きつつ、
社会の秩序は国民がみずから闘いとるものであり、
そのために国民は家庭や地域での生活にまで立ち戻り、
それぞれの場所からこのコーラスに参加すべきで、
政治の仕事はまさにその支援にあると、大平は考えていたと。』
このコラムを読んで、手元にある著書の、該当の記述を改めて確認してみました。
そこには、次のように書かれています。
『‥‥他方、大平は政治をすべての国民がそれぞれの立場で、
それぞれ得意とする楽器を手にして参加するコーラスに譬えた。
そして、政治家の役割を国民の政治参加を促すお手伝いに限定する。
それゆえ首相のリーダーシップが問われたとき、大平は首相にリーダーシップは不要で、
必要なのはオーケストラのコンダクターの役割であり、ハーモニーの維持にあると説いた。
そこに大平のリーダーシップの欠如を見ることはたやすい。
これに対し、彼は「政府が引っ張って行って、それに唯々諾々とついていくような国民は、
たいしたことを成し遂げられない。政府に不満を持ち、政府に抵抗する民族であって、
はじめて本当に政府と一緒に苦労して、次の時代をつくれる」と応じる。
また「国民も政治に大きな期待を持たないように、約束したことは果たすし、
果たせない約束はすべきでない」と率直に語るとき、そこに国民への信頼がうかがえる。』
なお、福永さんは著書の中で、大平元首相を
「歴史・言葉・文化の持つ重みを、含羞を持って受け止めることのできる政治家であった」と
評価されていました。
大平元首相の「楕円の哲学」は、「生き方の指針」としても、今もなお心動かされるものがあります‥‥。