年が明けてから初めての本降りの雨となりました。
そんな今日は、年賀状を出しそびれた方々へ、寒中見舞いを書きました。
さて、今年2017年は、近代文学に多大な足跡を残した正岡子規、
明治を代表する文豪・夏目漱石が誕生して150年です。
『日めくり子規・漱石』の連載が始まっています。
今月5日は、夏目漱石の『正月の 男といはれ 拙(せつ)に処す』という俳句で、
神野さんの次のような解説がありました。
世渡りが下手で愚直であることを良しとする姿勢だ。
漱石はこれを気に入って、彼の思想の核とした。
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」坊っちゃんも、
拙に処した一人。さらに旧暦1月5日は漱石の誕生日。
正月の男、つまり「おめでたい人だ」と皮肉を言われているのだ。
その皮肉にうまく返せなかった自分を「拙に処す」と積極的に肯定した。
漱石31歳の一句。』
う~む、なるほど……。
何をするにも不器用で、生きるのが下手な私にとって、
「拙」という生き方を漱石が積極的に肯定し、
なおかつ「思想の核」としていたというお話しは、
なんだか自分という存在を認めてもらっているようで、
気持ちを前向きにさせてくれるものがありました。
漱石のこの一句を、これからも忘れずにいたいと思います。
俳句といえば、今月4日の愛媛新聞では、
正岡子規門下の俳人・高浜虚子が、子規に初めてほめられたという
『京女 花に狂はぬ 罪ふかし』という句が紹介されていました。
虚子は晩年の自筆句集「喜寿艶(えん)」(1950年)にこの句を収録し、
『何故お前達京の女は、この桜に対して物狂はしくならないのか。
私は今この咲き乱れている花に対して何だか気が変になって来た』
と解説しているとのことでした。
それにしても、虚子がこの「京女」の句を創ったのは、
1893年(明治26年)、19の時だそうで、
つくづく「明治の人」は偉かったなぁ~と思います。
「拙」という生き方が徹底していたのかもしれません…。