昨日は、前職場の後輩女性職員の送別会でした。
彼女は、自治体の休職制度を利用して大学院に入学し、
公認会計士の資格を取得した「頑張り屋さん」です。
終始、前向きで明るい雰囲気の送別会となり、笑顔で彼女と別れました。
さて、話は変わりますが、
宗教学者の山折哲雄さんが、昨日16日の愛媛新聞「現論」欄に、
『価値観や世界観~日本 状況に応じて選択』というタイトルの論評を
寄稿されていました。
山折さんによると、日本列島は、
「森林と山岳」、「田園地帯」、「近代都市」の3層構造でできあがっていて、
この日本列島の構造は、日本人の意識にも
3層構造をつくり出しているのではないか、と述べられていました。
この3層構造とは、具体的には次のようなものでした。
・深層に流れる「縄文」的感性=縄文的感性にひそむ無常観や自然観
・中層に浸透する「弥生」的人間観=弥生的心性に宿る勤勉や忍耐心
・表層をカバーする「近代」的な価値観
=近代的価値観からにじみでてくる儒教的な合理主義
そのうえで、山折さんは、見落としてはならないのは、
この3層がたがいに他を排除しない、
そして否定しない重層の構造(相互包摂の関係)になっていて、
戦争や災害のような危機に直面したとき、
われわれの先人たちはこの3層に横たわるそれぞれの価値観や世界観を
柔軟に取り出して対処し、苦難を乗り越えてきたのではないか、
と指摘されていました。
さらに続いて、次のように述べられていました。
『どれか一つの価値や主張を生活の第一原理にすえるのではない。
状況に応じて3層それぞれの価値観に身をゆだねる。
こうした生き方は指導原理を欠く無責任、無原則の態度といえば、
いえるかもしれない。
選択意思の薄弱であいまいな処世術、と批判されるかもしれない。
第2次世界大戦のみじめな敗戦の経験をふり返れば、
そのような忠告に耳を傾けるのも大切なことだ。
けれども、テロや難民の問題に直面する今日、
この日本列島において熟成された3層構造の世界観や人間観が
これからは意外な働きをするのではないか。』
う~む、なるほど…。
ということは、私の心と身体にも、「3層構造のDNA」が流れているのですね。
ただ、どちらかというと、私の場合は、
「無責任」と「無原則」のDNAが流れているような気がするけれど…。
論評の最後で山折さんは、
千年にわたる「日中同盟」や敗戦後の「日米同盟」についても、
われわれは自己の道を見失うことなく、
意識の3層構造に基づく選択意思を貫いてきたし、
これからの「日米同盟」の基軸もその軌道の上にのせること、
それ以外にないと指摘されていました。
私の理解不足かもしれませんが、災害時の相互包摂はともかく、
「日米同盟」を3層構造と結びつけるのは無理があるような気がして、
ちょっと違和感を覚えた次第です。