今月18日の日経新聞「大機小機」は、
『バブル本のブームに思う』というタイトルのコラムでした。
昨秋以降、かつてのバブル経済の生成から崩壊にいたる
「ものすごい時代」の金融人の生き様を描いた書籍が次々と発刊され、
ちょっとしたブームになっているとのことですが、
記事では、これらの本には3つの暗喩が含まれていると指摘しています。
まず、バブルに向かう時、人々は不可能はないと猛進してしまうこと。
次に、バブル崩壊に伴う自信喪失の根は深く、
その回復に長い年月が必要で、かつ容易でないこと。
最後に、自信過剰であれ自尊喪失であれ、経済状態が先に影響するのか、
人間心理が先に作用するのか、鶏と卵の関係に似ていること。
アベノミクスは、長く低迷した経済を活性化するには、人間心理に働きかけ、
同時に経済の「見た目」を好調にすることが有益だという考え方で、
ここにはバブルへのほのかな憧憬もあったと記事には書かれていました。
そして、市中におカネを果敢に供給し、
企業と個人にインフレ期待を持たせることがカンフル剤だとして、
金融と財政を活用したアベノミクスの最初の2本の矢は、
それなりの成功を収めたと評価できるけれども、
実体経済の立ち上がりはいまひとつで 昨今は息切れ感が強いのは、
製造業やサービス業が好転するには相応の時間を要し、
まして技術革新は直ちに政策効果が出るものではないからだとしたうえで、
記事は次のように締めくくっていました。
『3本目の矢である成長戦略を粘り強く推進するしかない。
間違っても、異次元の財政出動をデフレ脱却のカギとする
シムズ理論をつまみ食いしてはならない。
バブル本の含意は、この点にこそ見いだすべきだと思う。』
う~む…。このコラムにも「シムズ理論」が登場しましたね……。
それにしても、
「バブル本の含意は、この点に見いだすべきだ」という「この点」というのは、
いったいどういう「点」なのでしょう?
「成長戦略を粘り強く推進すること」が「この点」なのでしょうか?
私は最近、『バブル~日本迷走の原点』(永野健二著:新潮社)を読みましたが、
私がこの本を購入した動機は、
「誰が、なぜ、何を誤ったのか、どうすればよかったのか」が
知りたかったからです。
バブル本のブームの含意は、バブルへの「ほのかな憧憬」というよりも、
バブルの「失敗の本質」に迫り、
バブルを「他山の石」にすることにあると思うのだけれど、
違うかしら……?