病院通いに明け暮れた6月が終わりました。来月こそ元気に過ごしたいと思います。
さて、岡本全勝・内閣官房参与が昨日29日のブログで、
朝日新聞「論壇時評」に掲載された歴史社会学者・小熊英二さんの
『右派の改憲 今なぜ「反体制」なのか』という論評のなかの「戦後✕年」のことを、
『戦後はいつ終わるか』というタイトルで紹介されていたので、
私もさっそく読んでみることにしました。
マスコミをはじめ私たち日本人は、
「戦後✕年」という言葉を普段なにげなく使用していますが、
小熊さんは次のような持論を展開されています。
『日本以外の国では、「戦後」とは、敗戦直後の10年ほどを指す言葉だ。
日本でも、敗戦から約10年の1956年に
「もはや『戦後』ではない」という言葉が広まった。
ところが「戦後✕年」といった言葉は、今でも使われている。
それはなぜか。私の持論を述べよう。
「戦後✕年」とは、「『日本国』建国✕年」の代用なのだ。
~(略)~
では、どうなったら「戦後」が終わるのか。それは「日本国」が終わる時だ。
戦後憲法体制は、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義を三大原則としている。
それを変えるほどの体制変更があれば、体制としての「日本国」は終わり、
「戦後」も終わる。例えば天皇主権、言論・出版の制限、平和主義の放棄などを
改憲によって国家原則にすれば、「日本国」と「戦後」は終わるだろう。』
この小熊さんの持論について、岡本参与は次のように述べられています。
『私も、いつになったら、次に何が起こったら「戦後」が終わるか、考えてきました。
何をもって、区切りとするかです。
「もはや戦後ではない」は、1956年の経済白書で宣言されました。
戦争が終わって11年です。 ~(略)~
小熊さんの指摘は、正しいと思います。 ところが、そのような考え方では、
政治体制が大きく変わる、 日本国憲法が大幅に書き換えられるまで、
「戦後」は続きます。』
う~む……、こんなこと考えたこともなかったです。
ということは、この現体制の「日本国」が続く限り、
「戦後100年」とか「戦後150年」という言葉が使用され続けるのですね……。
「先の大戦」を決して忘れない、忘れてはならないという、
日本人の覚悟の表れなのかもしれません……。