今日は中秋の名月‥‥。帰宅途上の東の空に、それはそれは美しい月を観ることができました。
少々大袈裟かもしれませんが、「生きていて良かった」と思える瞬間です。
さて、昨日のこの日記で、「民進党は分裂してよかった」と書きました。
そうすると、今日4日の日経新聞の政治欄に、タイミングよく、
『民進分裂で良かったこと』というタイトルの記事が掲載されていました。
そこには、次のようなことが書かれていました。
・衆院選を間近に控え、前原氏には党勢が回復しない民進党の閉塞感を打ち破る
最後のチャンスに映ったのだろう。党内には、改憲派と護憲派が同居し、
外交・安保政策などの主要政策で軸足がなかなか定まらない。
旧民主党時代からの課題だった党内ガバナンス改革も一向に進まなかった。
・「キャッチ・オール・パーティー(包括政党)」と呼ばれる自民党も
幅広い考え方を持つ議員で成り立つが、最終的には党をまとめて1つの方向に向かわせる老練さがある。
それができずに内輪もめを繰り返す民進党はもはや限界にきていた。
・今回はリベラル系を「排除する」と明言した小池氏を活用する荒療治が色分けにつながった。
結果的には、野党の保守勢力の結集をめざす前原氏が思い描いた保守と
リベラルで分かれる構図をつくり出した。
・個別の政策でも「純化」が進む。憲法改正、消費増税、安全保障関連法‥‥。
民進党と隔たりがある政策に基づき公認を出す条件を課した。
それは、はからずも民主党政権時代から中枢に居続けた重鎮に、希望に加わらない判断をさせた。
・「小池劇場」がもたらした民進党の分裂は、前議員にそれぞれの選択を迫った。
保守系は希望でどのように存在感を示し、リベラル系が集まる立憲民主党は
党勢の退潮が鮮明な社民党の二の舞いにならないよう何を訴えていくのか。
一時的な新党ブームに終わらせないため、衆院選で有権者に将来の日本の姿を具体的に示す責任がある。
自民党には「老練さ」があり、民進党は「老練」になる前に分裂してしまったということですね‥‥。
そういう意味では、公党としての名称が一貫して変わらない「日本共産党」も、
老練な政党なのかもしれません。(「老練さ」は、「したたかさ」でもあると思います。)
松尾芭蕉の俳諧理念に「不易流行」(いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも
新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。)があります。
この「本質的なものを忘れない」姿勢が、今の政党には求められているような気がします。