昨日のこの日記で、「リベラル」と「保守」に関連して、
「今はあまりイデオロギーにこだわる時代ではないかもしれない」と書きました。
ところが、先週26日の日経新聞「経済教室」では、田中直毅・国際公共政策研究センター理事長が、
『衆院選後の展望と課題(上)保守・リベラルの再定義を』というタイトルの論評のなかで、
次のようなことを述べられていました。
『 ~(略)~ こうした中で気になるのは、
政治家・官僚対企業経営者という対立軸が広がり始めたことだ。
経営者にとってみれば、戦後の自由な貿易体制は米国がつくり出してくれた。
従って国内秩序の保守のために、そこで生まれた輸出利益の一部の移転も是認できた。
そして企業利益の増大に見合った支払賃金総額の増加も、企業内「平和」のために当然視された。
保守とリベラルの軸を深く考える必要もなかった。
しかし今日のグローバル展開で、経営者は利益導出や賃金決定、また投資資源配分で、
グローバリズムとコーポレートガバナンス(企業統治)への準拠を当然とする。
一方、国内にもっぱら視点を置き、かつ従来の保守になじんだ政治家と官僚の集団は、
賃金決定や利益剰余金(内部留保)にまで介入しようとする。
他方で経営者の多くは、あるべき保守やリベラルの軸が必要と感じ始めた。
そして「忠良なる日本国民」を願望する一般生活者もまた、新しい政治像を希求せざるを得ない。
政治家を育てる必要、そして政治への多様な支援のあり方の広がりの中で、
「政治という公務」は挑戦に値すると考える人が増える兆しもある。
国民一人ひとりによる自己統治の徹底こそが民主主義の原点だ。
啓発された自己利益としての保守やリベラルの軸の構築が待たれる。』
なお、田中理事長はこの記述の前提として、
縦軸に「保守」(秩序維持への高い価値付与)と
「リベラル」(自由の確保、自律的秩序形成、未来への挑戦への高い価値付与)、
横軸に「同盟」(日米安保堅持による安全確保)と
「世界への広範な関与」(地球環境課題などへの具体的献策を通じた多角的関与)を引き、
4つの展望すべき政治空間を図に示されたうえで、
「保守」も「リベラル」も政治空間づくりに成功していないと述べられていました。
う~む‥‥、まいったな。
企業経営者まで持ち出されると、私はますます分からなくなってきました。
「保守」と「リベラル」という「軸」の構築は、本当に必要なのでしょうか?
この議論を前に進めるためには、再度、国民だれもが納得するような
日本政治における「保守」と「リベラル」の定義そのものを、見直す必要があるのかもしれません。
自分なりにもう少し勉強してみたいと思います。