太平洋戦争の敗戦から75年、戦後の日本社会は何を目指し、何を変えようとしてきたのか、
その歴史と展望を識者に聞く、「戦後日本の行方」という連載記事が、
今日から日経新聞の文化欄で始まりました。
第1回目は、日本思想史家の将基面貴巳ニュージーランド・オタゴ大教授が、
「ナショナリズム 批判精神が生む真の愛国」というタイトルで、次のようなことを述べられていました。
『ナショナリズムとは自らのネイション(国家・国民)の独自性にこだわる考えのことだ。
近代国家は人々を統合する手段として「国語」や「国民の歴史」を形成し、
統一的な「国民」を作ろうとした。それがナショナリズムの起源だ。
~ (中略) ~
本来、愛国を意味する言葉はナショナリズムではなく「パトリオティズム」だ。
キケロは自由や平等、さらにはそれらの価値を守る政治制度などの「共通善」を実現するために、
人々が美徳を発揮せねばならないと考えた。
愛国心の敵は共通善を脅かす暴政だ。
私たち一人ひとりが公共の利益を考え、国が市民に対して責任を果たしているか批判的に観察すること。
それがパトリオティズムであり、真の愛国といえる。
また、リベラルな価値観がナショナリズムに及ぼす影響も考える必要がある。
世界には人種やジェンダーなど、国家以外のアイデンティティーを重視する人も多い。
たとえば米国の黒人差別反対運動「Black Lives Matter」に見られる国境を越えた連帯は、
ネイションを神聖視する立場では考えられなかった動きだ。
こうした連帯がナショナリズムの対抗軸となるか、注視したい。』
う~む、なるほど‥‥。
「国が市民に対して責任を果たしているか批判的に観察すること」が真の愛国なのですね‥‥。
ところで、「愛国」といえば、佐伯啓思先生の「日本の愛国心」(文春文庫)という名著があります。
そこにどんなことが書かれてあったのか、早や忘却の彼方なので、再確認してみました。
そこには、次のようなことが書かれていました。
『‥‥さて本書は「愛国心」をテーマにした書物である。
中心は「日本の愛国心」であり、私の関心は、いわゆる(西欧発の)ナショナリズム論では捉えきれない
「日本の愛国心」という問題を、「日本の精神」という磁場において論じることである。』
一言に「愛国」と言っても、その「磁場」をどこに置くかによって、論じ方が変わるのだと思います。
将基面教授と佐伯先生の「愛国」の捉え方は、その磁場に接点がないように私には感じられました。