今日29日の日経新聞に、某証券会社の全面広告が掲載されていましたが、
満開の桜の写真をバックにした、次のような言葉と解説がありました。
『山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く
春夏秋冬 あしたもよろし ゆふべもよろし』
『流れる日々、変わりゆく季節の中、出逢うものすべてを受け入れる。
出家して施しを受けながら放浪の旅を続けた漂泊の俳人、種田山頭火のこの言葉は、
慌ただしく今を生きる私たちに、無理をせず、あるがままでいい、
と穏やかに語りかけています。』
この広告を見て、かつて職場の上司が教えてくれた
『しぐるるや しぐるる山へ 歩み入る』という山頭火の句を思い出しました。
「Yahoo! 知恵袋」では、この句について次のような解説があります。
『この俳句の味わいはたとえ前方が時雨れているとわかっていても
歩みを止めない作者の心境にあります。
この先によくないことがあるとわかっていても避けて通ろうとしない愚直さ、
雨が降ったら濡れるまでよ、という諦めなどを読み取ればよいと思います。』
どちらの句も、山頭火の生き方が色濃く反映されていて、読む者の心に響くものがあります。
なお、桜並木の美しさで名高い愛媛県西予市野福峠(のふくとうげ)の中腹の小さな公園には、
山頭火の『さくらさくらさくさくらちるさくら』という句があるそうで、
「吟行ナビえひめ」というサイトでは、次のような解説がありました。
https://www.iyokannet.jp/ginkou/spot/detail/kuhi_id/213
『桜の季節、見渡せる海の青さと満開の桜のコントラストは、
春駘蕩(たいとう)とした空気と相まって別天地のよう。
桜に焦点を絞りひらがなで表記されたこの句は桜の優美さや儚さ(はかなさ)を際立たせている。』
「山頭火」と「桜」は、その「潔(いさぎよ)さ」という点で、共通点があるような気がします。