昨日は東京の日帰り出張で帰宅が遅くなったので、この日記をお休みしました。
羽田モノレールから見た沿線の風景で印象に残ったのは、建設中現場の多さでした。
再来年の東京五輪に向けての工事なのでしょうか、
地方から出てきた人間には、東京の街は変わらぬ活気に満ち溢れているように感じました。
さて、ここ数日のこの日記で、
朝日新聞一面コラム「天声人語」の悪口を書いたような気がして、
自分としては、後味の悪い気持ちでいました。でもそれは、決して悪口ではありません。
自らの多感な青春の時期(18~20歳)と、深代惇郎さんの執筆期間が見事に重なることもあって、
名コラムニストの格調の高い名文と、最近のコラムニストの文章とを
ついつい比較してしまうのです。
‥‥ということで、言い訳がましいようですが、一昨日と昨日の「天声人語」には、
歴代コラムニストのDNAが脈々と流れているような、次のようなセンテンスがありました。
『厚生労働省の調査によると、
死の間際に望む医療についてだれかと話し合った人は4割に満たない。
自らの死を大っぴらに語ることへのためらいが、私たちにはなお根強いようだ。
作品から感じるのは、肩ひじの張らない終活もあるということ。
訪ねたい場所、片付けたい品々‥‥。
胸の奥にある望みを、信じて話せる相手がいれば、人生の幕は意外と滑らかに閉じられる。
そんな気がした。』(8月28日)
『時代の描き方にも独特のさえがあった。
故・西城秀樹さんの熱唱や、世紀末に人類は滅びるというノストラダムスの大予言。
さくらさんのフィルターを通すと、
当時を知らない若い世代にも時代の空気がごく自然に伝わった。
新聞やテレビにめったに登場しない人だった。
53歳という早すぎる訃報(ふほう)に接して、ふいに頭に浮かんだのは作家ではなく、
「まるちゃん」のあの笑顔の方だった。喪失感の深さに驚く。』(8月29日)
娘が幼かった頃、B.B.クイーンズの「おどるポンポコリン」を
従姉の子供たちも一緒に、皆で大合唱したことを懐かしく思い出します。
それは、我が家の大切な思い出の一コマです。
「ちびまる子ちゃん」の漫画やアニメ、そして愛唱歌が、世代を超えて伝えられる限り、
「さくらももこ」さんは、他人のなかで永遠に生き続ける‥‥。
「終活」と「さくらさん」‥‥、
取り扱う話題は全く違ったけれど、連日の二つのコラムを読んで、このように感じた次第です。