昨日から今日に持ち越したやっかいな案件を、なんとか無事に片付けることができました。
「山より大きいイノシシは出なかった」ということなのでしょうね、きっと‥‥。
冒頭から始まる次の文章を読んで、大学生の頃を懐かしく思い出しました。
『三十数年前、法学の授業でカタカナと格闘した。
たとえば刑法に「罪本(もと)重カル可クシテ犯ストキ知ラサル者ハ‥‥」。
明治の制定ゆえ文語調なのはしかたないが、それをおいてもカタカナの海にめまいを覚えた。
いまの法学部生にそんな苦労は無用らしい。
刑法、民法、民事訴訟法などがひらがな主体の口語文に改められた。
この春には商法も新装され、いわゆる「基本六法」からカタカナ書きが姿を消すことになる。
「読みやすさから言えば、法文のひらがな化は大歓迎です」と話すのは
成田徹男・元名古屋市立大教授(66)。
法学ではなく日本語学が専門だが、「ひらがなとカタカナの長い歴史を思うと、
主要な法典がひらがな書きに統一されたことは感慨深いですね」。
古くから公的な文書では漢字とカタカナが主役だった。
成田さんによると、ひらがなが表舞台に立ったのは現在の憲法が公布されてから。
「以来七十数年の間に公的な領域でカタカナの勢力は衰えました」』
コラムニストは三十数年前ですか‥‥。
私は、44年前の1975年(昭和50年)4月に法学部に入学しました。
その当時は、コラムニストご指摘のとおり、六法はカタカナばかり‥‥。
ただでさえも法律の条文解釈は難しいのに、それ以前の問題とて、
カタカナの条文を読むことに悪戦苦闘したことを思い出します。
当時、当たり前だと思っていたカタカナが六法から姿を消すことには、隔世の感があります。
ただ、条文がひらがなベースで書かれるのは、読みやすくて歓迎なのですが、
一方で、法律全体に重みがなくなるというか、権威がなくなるような気もします。
ところで、曲がりなりにも法学部卒の私の家には、
いつの間にか「模範六法」や「地方自治小六法」などの「六法」が消えてしまいました。
それでも日常生活に全く支障がないのは、それはそれで幸せなことなのかもしれません。