昨日25日の朝日新聞デジタル版に、井出英策・慶大教授へのインタビュー記事が、
『リベラルな社会、共同体の力で 「富山=北欧」論、井手慶大教授に聞く』
というタイトルで掲載されていました。
井出教授の主張は、端的に言うと、
「人口減、低成長の日本社会を福祉先進国北欧のように変えていくヒントは、
北陸・富山にある」というものです。
この記事を読んで、先月31日の朝日新聞デジタル版「論壇時評」で、
歴史社会学者の小熊英二さんが、井出教授の著書『富山は日本のスウェーデン』について、
次のように批評されていることを思い出しました。
・主張はよくわかる。
だが私は、そんなに簡単に地域慣習を都合よく改造できるのか疑問なのと同時に、
井手の前提認識に違和感を持つ。というのも井手は、自身の危機感を述べ、
「リベラル」を論評する際に、論拠を示していないのだ。
実は、危機の時代には必ず共同体志向が強まるという井手の認識は、確たる根拠はない。
・また井手の「日本の左派・リベラル」認識も不正確だ。
1950年代の国民的歴史学運動や生活綴(つづ)り方運動など、
左派が共同体を再評価した例は多い。地域慣習を活用すべきとの提起も井手が初ではない。
それらがなぜ定着しなかったかを検証せずには、
井手の提起も一過性で忘れられる議論に終わりかねない。
・結果的に井手の議論は、
さしたる検証も経ずに既存の「リベラル」は「うわすべり」だったと一括したうえで、
もっと賢い者が適切な認識に基づく適切な政策パッケージを提示すれば
社会を「作り替える」ことができると主張しているように読めてしまう。
これでは、地域を改善するべく地道な努力を重ねてきた
地元の「リベラル」な活動家や地方議員には、
一方的に愚か者扱いされたと感じる人がいても不思議はない。
彼の著書が批判を招いているのもそれが一因ではないか。
なお、先ほどの井出教授へのインタビュー記事には、次のようなことが書かれていました。
『前提にすべきだと強調するのは、
世帯収入400万円以下の家庭が半分近くを占める日本社会の現実だ。
「普通の人が貯蓄に依存しないで生活のニーズを満たす仕組みをどうつくるか。
増税で公共部門を強化しつつ、家族が果たしてきた役割を、
地域の実情に合わせて地域化、社会化しなければ社会は底割れする。
リベラルは『ニーズの政治』にかじを切るべきだ。」』
う~む‥‥。「リベラル」という言葉の定義や意味が、さっぱり分からなくなってきました。
この問題って、結構奥が深いのですね‥‥。
いずれにしても、井出教授の問題意識は、おぼろげながら理解できたので、
小熊さんが批評する著書そのものを読んでみる必要がありそうです。
それから、私なりの読書感想文を書くことにします。