今日の朝日新聞デジタル版で、東日本大震災の被災地に暮らす記者(35)が、
「家族」を通じ幸せのあり方を描いてきた映画監督の山田洋次さん(87)に、
「震災は、私たちに何を問いかけたのか」をインタビューした記事が掲載されていました。
そのなかで、特に印象に残ったのは、次の二つのQ&Aでした。
Q 震災後、「物質的な豊かさが大事」という価値観が見直された空気を感じたのですが。
A 地域が破壊され、大都市に人口が集中する。AIの時代が来て、効率化が進む。
こういう方向性が、人間にとって本当に幸せなのかね。
隣近所が仲良く、しょうゆやみそを貸し借りして、
古いなじみの豆腐屋や八百屋で買い物をする暮らしの型が消えることが。
日本人が明治から大正・昭和にかけて築いてきたライフスタイルを、
ブルドーザーで潰すように消してしまっていいのか、それで幸せになれるのか、
ということを、国をあげて議論しなくてはいけなかったのではないかと思うわけ。
Q 「幸せ」って、どこにあるんでしょう。
A 被災した人のことを考えると、ぼくはぼく自身の生き方を問われているような気がします。
陸前高田のあの一軒家の隣や向かいに家が建って、主人がその家の娘や孫たちと縁側に座って、
庭の黄色いハンカチを眺めてビールを飲む。
そんな生活が彼らに戻るために、ぼくは日本人の一人としてなにができるのか、しているのか、
ということです。
う~む、なるほど‥‥。
昨日のこの日記で書いた、佐伯啓思先生のご指摘とある意味、近いものがあると感じました。
私は、「何をもって幸せというか?」と問われれば、正直言ってよく分かりません。
生き方や幸せについての価値観は、人それぞれであるところを、
社会や国全体の大きな時代の流れのなかで、これといった「答えらしきもの」を見いだすのは、
簡単でないことだけは分かります。(「物質的な豊かさ」を求めるのも、一つの選択肢だと思います。)
支離滅裂な文章になってゴメンナサイ‥‥。もう少し自分としての考えを整理してみます。