良く晴れて爽やかな一日となりました。
このお天気に誘われて、体調が少しずつ回復している父に付き添い、自宅周辺を散歩しました。
手押し車で少しずつゆっくりと‥‥。孫娘という強力な助っ人も、この散歩に付き合ってくれました。
さて、『読書について』(ショーペンハウアー、鈴木芳子訳:光文社古典新訳文庫)を読了しました。
いくつもの箴言がありましたが、そのなかから、お気に入りの3つを選んでみました。
・悪書から被るものはどんなに少なくとも、少なすぎることはなく、
良書はどんなに頻繁に読んでも、読みすぎることはない。悪書は知性を毒し、精神をそこなう。
良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。
なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから。
・「反復は勉学の母である」。重要な本はどれもみな、続けて二度読むべきだ。
二度目になると、内容のつながりがいっそうよくわかるし、結末がわかっていれば、
出だしをいっそう正しく理解できるからだ。また二度目になると、どの箇所も一度目とはちがうムード、
ちがう気分で読むので、あたかも同じ印象をちがう照明のもとで見るように、印象も変わってくるからだ。
・二つの歴史がある。ひとつは政治の歴史であり、もうひとつは文学と芸術の歴史だ。
前者は意志の歴史であり、後者は知性の歴史だ。だから政治史は終始、私たちをおびえさせ、おそろしい。
不安、困窮、欺瞞とおそるべき殺戮にあふれている。
これに対して文学・芸術の歴史は、たとえ道を踏みちがえたくだりを描いているときも、
隠遁生活を送る賢者のように常に好ましい晴れやかさをただよわせる。その根幹をなすのが、哲学史だ。
そもそも哲学は文学史の根幹をなし、それどころか他の歴史、すなわち政治史へも響き渡り、
そこでも根幹から意見を導いてゆく。哲学は世界を支配する。
したがって真の正しく理解された哲学は、最強の実質的な力でもある。だがその影響はたいそうゆるやかだ。
なお、訳者の鈴木芳子さんは巻末の「解説」で、次のように述べられていました。
『彼は文化の担い手であるひとりひとりに、母語を正しく書くこと、話すことへの義務と責任をうながす。
未来を見すえて、もっと言葉を大切にしよう、受け売りではなく、
ちゃんと自分の脳みそで考えようというショーペンハウアーの真摯な主張は、
時代を超えて私たちの胸にせまる。』
「反復は勉学の母」ですか‥‥。はぃ、分かりました。
良書である本書は、「自分の頭で考えながら」、二度、三度と読んでみる必要がありそうです。
- 作者: アルトゥールショーペンハウアー,Arthur Schopenhauer,鈴木芳子
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2013/05/14
- メディア: 文庫
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