長い時間をかけて、『昭和精神史』(桶谷秀昭著:扶桑社)を、ようやく読み終えました。
日経新聞「名作コンシェルジュ」で、文芸評論家・富岡幸一郎さんの書評を読んだのが購読のきっかけです。
この本がどのような意図で書かれたものなのか、著者の記述から抜き出してみました。
・私は、昭和改元の年から敗戦期までの日本人の心の歴史を描かうとしてゐる。
それを文学史でもなく、思想史でもなく、あるいはまた思潮史でもなく、精神史と呼ぶのは、
この時代に生きた日本人の心の姿を、できるだけ具体的に描きたいからである。(本文第一章)
・さらに私は、時代と個人の、感情と思念と本能のはたらきを、文学に限定することなしに、
能力の及ぶ限りで、文学以外の表現にも探りたいと思ふ。
つまり、私の書かうとしてゐるのは、歴史であるが、
それなら歴史とは何かといふ問ひの解決が先決であろうか。
さうであるとしても、あらかじめその解決に腐心する余裕がない。
さういふ一般論よりも、昭和といふ過去があたかも負債のやうに立ち塞がり、
それを明らめたい欲求が先行してゐる。(本文第一章)
・時勢が変り、世を支配する通念が変つても、いかにしても訂正の効かない思念や感情といふものがある。
訂正もいひわけも効かないゆゑに、それは間違つてゐないのである。
どんな思想も時代の輪郭を、それ自身の限界のやうに刻みつけてゐる。
その限界を限界としかみないのは、歴史評価の相対主義である。
しかし、そこのところに訂正の効かないゆゑに間違つてゐないものを直観するとき、
相対主義の向うへ出るのではないか。(本文第一章)
・原本初版刊行後、多くの書評に恵まれたが、
これを文学史とでもよめるといふ主旨の指摘をされた書評があつた。
その好意をありがたく思つたが、しかし私としては文学史を、
あるいは文学史を兼ねた叙述をする意図はなかつた。
昭和の日本人の心の歴史を書くといふ意図が、文学作品をかなり多く材料とする結果になつたのである。
私がこの本の意図を「精神史」として抱いてゐたことは、本文第一章にも書いた通りである。
とりわけ「精神史」といふ言葉にこめたのは、
通常の歴史が人間意識の実現された結果に重点を置く叙述であるとすれば、
実現されなかった内面を実現された結果とおなじ比重において描くといふことである。
(文庫本のためのあとがき)
数多い印象に残る記述のなかで、やはりこの日記に書き残しておきたいのは、
「他人の困つてゐるのを座視することができ」ない人間であり、
「兵隊を兵隊として扱はず人間として遇した」、二・二六事件における安藤輝三大尉についての、
次のような記述でしょうか‥‥。
『‥‥これは個人の油然たる内発力にほとんどすべてを托したことの人間的な脆さかもしれない。
二・二六の蹶起行動の区々における姿をあらためてみると、
みなさういふ人間的な脆さと美しさをもつてゐる。美しさは戦術の拙さの結果ではなく原因なのである。
ここで、さういふ美しさのもつとも鮮烈な表現を蹶起行動の終始において演じたのは、
歩兵第聯隊第六中隊の兵を率ゐて立ち上がつた安藤輝三大尉である。』
なお、この本の「解説」で、長谷川三千子・埼玉大学名誉教授は、
安藤大尉の辞世の句、「一切の悩みは消えて 極楽の夢」について、
『これはもはや、旋律といふより、ただ高く澄んだ倍音が天空に響いてゐる、とも言ふべきであろう。
しかし間違ひなく、ここには「訂正もいひわけも効かないゆゑに間違つてゐない」ものが
ひびき渡つてゐるのである。』と書かれていました。
そして、「解説」の最後には次のように書かれていて、この記述にも、私はいたく感動しました。
『この作品のうちに、ただひたすら没入し、沈潜し、そこに響く静かな旋律に耳をかたむける‥‥。
するとそこから、現在のわれわれが何を失つてしまつたのかが、自ら明らかになつてくるであろう。
その喪失を、とことん腹の底から思ひ知ること以外に、日本の再生への道はない。
令和の時代のはじまつたばかりの今、この「昭和精神史」こそは、あらためて広く読まれるべき本である。』
激動の昭和時代の日本人の「心の軌跡」を辿った本書‥‥。
令和時代に、新型コロナウイルスという災厄に遭遇した、私たち日本人の「心の軌跡」を、
後世の人はどのように描くのでしょうか‥‥?
追記
この本を読んで、日本浪漫派(近代批判と古代賛歌を支柱として、
「日本の伝統への回帰」を提唱した文学思想)の保田輿重郎という人物や、
「天籟」(てんらい)という言葉を初めて知りました。
「天籟」とは、「荘子」の「斉物論」に語られている言葉で、
修行をつんだ賢者のみが聞きうる、音なき音~もろもろの音をたてしむる、それ自体は音のない音~
それが「天籟」、との長谷川先生の解説がありました。これもこの本のキーワードだと思います。