今日の日経新聞一面コラム「春秋」では、芥川龍之介の「侏儒の言葉」のことが書かれていました。
その全文を、次のとおり引用させていただきます。
『「今昔物語集」などをネタにいくつもの傑作を書いた芥川龍之介が、こううそぶいている 。
「古典の作者の幸福なる所以(ゆえん)は、兎(と)に角彼等(かれら)の死んでゐることである」。
翻案された作品を知らなくてよかったね‥‥。皮肉屋の芥川らしいつぶやきだ。
「侏儒の言葉」にある。
いにしえの人たちが残した、おびただしい数の書物はつまり解釈自在だ。
それが原典の幅を広げるのである。今年は新元号「令和」の典拠が万葉集だということで、
いっときは書店にこの歌集が平積みされた。さまざまな関連本も並んだ。
日本古典のブームがやってくるとの声もあった。しかし、どうもそれほどではない。
文化庁が16歳以上の約2千人から回答を得た調査によれば、電子書籍も含め、
1カ月に1冊も本を読まない人が約半数にのぼったという。
たぶん1年に1冊も、という人だって少なくはないだろう。
生涯、本と無縁でスマホの画面とにらめっこ‥‥が多数派になりかねない。
こういう具合では古典どころではない気がする。
いやいや、歴史をかいくぐってきたものには力がある。
むしろ読書の扉を開けるのに格好だという声も聞く。芥川はこうも言った。
「我我の‥‥或(あるい)は諸君の幸福なる所以も兎に角彼等の死んでゐることである」。
古典はやはり自由なのだ。まずは「芋粥」や「羅生門」を手にとって、
作品の向こう側に思いをはせてもいい。』
はぃ‥、ちなみに、芥川龍之介の「侏儒の言葉」には、私のお気に入りの、次のような名言もあります。
よければご参考までに‥‥。
・人生は一箱のマッチ箱に似ている。重大に扱うのは莫迦々々しい。重大に扱わなければ危険である。
・危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である。
・人生を幸福にするためには、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。
雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔。
‥‥あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。
・人生の悲劇の第一幕は親子となったことにはじまっている。
・女は常に好人物を夫に持ちたがるものではない。
しかし男は好人物を常に友だちに持ちたがるものである。
・私は不幸にも知っている。時には譃に依る外は語られぬ真実があることを。
- 作者: 芥川龍之介
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