今日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、私の好きな詩人・茨木のり子さんの
「単一民族という時、日本人の顔、顔、顔がそれを大いに裏切っているのは愉快である。」
という言葉で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『人の顔は「一本の茎の上に咲き出た一瞬の花」だと詩人は言う。
蕾(つぼみ)もあれば、咲きそめ散りかけも、萎(しな)びた実もあると。
が、愉(たの)しみは「はからずも日本列島で咲いている」様々の顔にふれること。
すれ違う人を見てはスラブ系?インド系?などと想像する。
自分の顔にはシルクロードを流離(さすら)った「胡族の末裔(まつえい)」が映るかもと、
その遥(はる)けさに浸る。随想集「一本の茎の上に」から。』
う~む、なるほど‥‥。人間の顔は「一瞬の花」なのですか‥‥。
では、私の顔のルーツは、何処に由来しているのでしょう?
遥か大昔のご先祖様は、どこからやってきたのでしょう?
極端に寒がりだけど、夏の暑さにも弱い私は、そのどちらでもないのかな‥‥?
たぶん、顔だけではなくて、軟弱な身体・精神のDNAも、
ご先祖様から有難く(?)受け継いでいるのでしょうね‥‥。
日々の生活を忙しく送るなかで、時には立ち止まって、
「遥(はる)けさに浸る」のも、実はとっても大切なことなのかもしれません。