しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「深い喜悦の言葉」はいずこに

雲は低く垂れこめていたものの、雨は降りそうではなかったので、

午前10時前に、西の海岸にウォーキングに出かけました。無性に海が恋しくなったのです。

自宅に帰ってきた午前11時過ぎ、突然、強い雨が降ってきました。間一髪セーフです。


さて、昨日19日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、詩人・茨木のり子さんの

「言葉が多すぎる/というより/言葉らしきものが多すぎる/というより/言葉と言えるほどのものが無い」

という言葉で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『そうしてつぶやく。「さびしいなあ/うるさいなあ/顔ひんまがる」と。

 世には言葉が洪水のように溢(あふ)れる。が、真に「ふかい喜悦」をもたらしてくれる言葉、

 渇いた心を芯から潤してくれる言葉にはめったに出会えない。人びとはもはや言葉を信じていない。

 詩人はそこに「亡国のきざし」を見た。詩集「寸志」(1982年)から。』


う~む、なんだか今の時勢のようです‥‥。

ちなみに、「賑々しきなかの」と題したこの詩の最後の一節は、

「アンテナは/絶えず受信したがっている/ふかい喜悦を与えてくれる言葉を/

砂漠で一杯の水にありついたような/忘れはてていたものを/瞬時に思い出させてくれるような」


鷲田さんのこのコラムを読んで、久しぶりに『茨木のり子詩集』(谷川俊太郎選:岩波文庫)を開きました。