愛媛新聞「文化」欄で連載が続いていた、
歌人・俵万智さんの執筆による「2021、夏を詠む」というタイトルのエッセイ。
今日はその最終回で、次のようなことが書かれていました。
『‥‥非常に残念だったのは、原爆死没者慰霊式・平和式典で、
首相があいさつ文の一部を読み飛ばしたという一件である。読まれなかった部分には次のような一節がある。
「わが国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、
〝核兵器のない世界〟の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です」
翌日の新聞では、予定されていた「全文」が掲載されていた。
けれど活字になったからといって、その言葉が、その日広島に存在したことにはならない。
生身の首相が足を運び、肉声で発することによって
「唯一の戦争被爆国」「核兵器のない世界」という言葉は命を得るのである。
原稿が糊(のり)でくっついていたのが原因だそうだが、なんと軽い釈明だろう。
命を与えられなかった言葉の無念。
それは、かつて、いとも簡単に一瞬にして命を奪われた人々の無念と重なって感じられる。
あったはずの言葉。あったはずの命。ケアレスミスで済まされていいはずがない。
言葉を軽んじることは、命を軽んじることにつながってゆくのだから。』
そして、この記述に関しての、俵さんの次の一句が添えられていました。
「かつてかく/奪われゆきし/命あり/糊づけされて/読み飛ばされて」
昨日のこの日記に書いた、茨木のり子さんの言葉に続いて、
「言葉の重さ」について、いろいろと考えさせられた、そんな俵さんのエッセイでした。
追記
「夏の甲子園」で、愛媛代表の新田高校は、終盤の反撃も及ばず、
山梨代表の日本航空高校に、3対5で敗れました。残念です。
新田高校の先発メンバーには、向井投手をはじめ、2年生が4人もいます。
今日の悔しさを胸に刻んで、来年に向けて、また新たな一歩を踏み出してくださいね。