しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

忘れられない言葉

新しいノートパソコンが届きました。

四苦八苦しながら初期の設定を終え、ようやくこの日記を書けるようになりました。


さて、気象庁によると、昨日の午後11時8分ごろ、

宮城県福島県で、震度6強の揺れを観測する地震があったとのこと。

被災された皆様に、心からお見舞いを申し上げます。


こちら愛媛県では、今日は気温が上昇し、この時期とは思えない陽気となりました。

そして、今日の朝日新聞一面コラム「天声人語」には、

愛媛県に関連した、次のような記事が掲載されていました。


『《海 命 愛 友情 希望 平和 祈り 安らぎ 永遠》。

 愛媛県宇和島水産高校の玄関にある石碑には、9人を悼む九つの言葉が刻まれている。

 20年前、ハワイ沖で実習船「えひめ丸」が米原子力潜水艦に衝突され、

 犠牲となった生徒や教官ら9人だ。事故の全容は「海への祈り」という本に詳しい。

 3冊計970ページ。

 筆者は、副知事として米軍相手に船体引きあげや賠償の交渉にあたった矢野順意(のぶよし)さん。

 退職後に3年がかりで執筆し、一昨年、86歳で亡くなった。

 「そんなに根詰めて書かなくてもと何度も言いましたが、

 『早いうちにまとめんといかん』の一点張りでした」。長男博朗(ひろあき)さん(60)は振り返る。

 毎晩、書斎にこもって日付が変わるまでペンを走らせた。

 冷静な筆致ながら、海の惨劇を語り継がねばという熱意がのぞく。

 船を浅瀬に引きあげ、不明者の遺体が見つかり出したのは事故から8カ月後。

 「悲しくやり切れない」。事故原因が発表されると、「信じがたい。

 これほどまでのエラーの連鎖がなぜ続いたのか」とつづった。米当局の調査報告書を改めて開く。

 米原潜が招待した民間人をもてなすための緊急浮上が原因だったことに絶句する。

 お遊びのような訓練ではないか。実習生たちの無念を思うとやりきれない。

 事故から20年を迎えた10日朝、追悼式典に臨み、犠牲者の数と同じ9回の鐘の音を聞いた。

 《海を怖(おそ)れず 海を愛し 海を拓(ひら)け》。

 すぐわきの石碑の言葉に見入り「海を語り継ごう」と胸に刻んだ。』


このコラムを読んで、現役時代、市町村行政の仕事をしていた頃、

副知事室で当時の矢野副知事に、叱責されたことを思い出しました。

曰く、『書き物の「行政実例」ばかりを頼りにして仕事をしているからダメなんだ‥‥。』


「現実や現場への目線を大切に」という意味だと私なりに解釈していますが、

現役を離れた今でも、この時の言葉は忘れることはできません‥‥。