昨日、午後6時過ぎから、西の海岸に沈む夕陽を見に行きました。
日経新聞一面コラム「春秋」の次のような文章を読んで、散歩がてら足を運ぶことにしました。
『ズナやタンポポを含め、この時期に咲くかれんな姿を見るたび、造形の妙や生命力の強さに感じいる。
聖書で神の愛を説くイエスが「野の花を見よ」と呼びかけたわけも、
信仰心が薄い身ながら納得できる気がするのである。
「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる」
ウイルスとの戦線は広がり、出口の見えない経済の苦境は、まだ続きそうだ。
しかし、白旗は上げられない。
野の草のごとく厳しい寒さに耐え、踏まれても再び芽を伸ばし、花を咲かせねばなるまい。
加えて人間には知恵も勇気もある。宴会自粛で枝を見上げる機会が少なくなりそうな春。
まず、足元から声援をもらおう。』
「野の花」ではないけれど、西の海岸に沈む夕陽も、時に信仰心に近いものを与えてくれます。
昨日は、名も知らない鳥の群れが水面に浮かんでいて、波の音とも見事に調和していました。
また、前回来た時よりも、夕陽が沈む位置が右に移動していて、
確実に季節が移り変わっているのが実感できました。
今日、西に沈んだ夕陽は、明日はまた、東の空からのぼってきます‥‥。