しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「死の準備」を考える

朝日新聞デジタル版の無料会員の閲覧可能記事が、月5本になったことを受けて、

私のお気に入りの一面コラム「折々のことば」も、厳選して記事を読むように心掛けています。


昨日24日の「折々のことば」は、科学史家・村上陽一郎さんの

「我々の社会は、「死」を如何(いか)に身近に感じ得るか、という点で、

準備が少なすぎるのではないか。」という言葉で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『戦時下、人命が余りに軽んじられた反動で、命の「至上の価値」を唱えるうち、

日々死の脅威に晒(さら)されている人々を支える体制も手薄になっていたと、科学史家は憂う。

この社会は「隣にいる成員が日々次々に死んでいく社会」でもあるのに、

その過程に人は子細に目を向けていないと。「近代科学と日本の課題」(「中央公論」7月号)から。』


う~む‥‥。(沈黙) とっても重たいご指摘だと思います。

仏教の世界で年忌法要があるのは、故人を偲ぶ機会であると同時に、

自らの「死の準備」と、他者への「生の配慮」のために、欠かせない「儀式」なのかもしれません‥‥。

コラムを読んで、そのように感じた次第です。