今月8日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、
「能ある鷹(たか)は爪を隠す」ということわざで、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『ほんとうに実力のある者は、いざという時のために密(ひそ)かに技を磨いており、
それを無闇(むやみ)にひけらかしたりはしないものだ。
だからその地力をあなどってはならない。
もしこのことが真であれば、逆に、能無しは爪をこれ見よがしに立てるか、
あるいは攻撃を怖(おそ)れ、物陰に潜む。しかもそれを同時にやる人もいる。
魂胆は見え透いても、それが通ることがあるから、世間は不気味。』
このことわざは、子どもの頃から、父から嫌というほど聞かされてきました。
もう一つ、よく聞かされたのは、「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」です。
「故事ことわざ辞典」には、それぞれ
「有能な鷹は獲物に知られないように、普段は鋭い爪を隠しておくことから、
転じて、いざという時にだけその真価を発揮するということ」
「実るほど頭を垂れる稲穂かなとは、人格者ほど謙虚であるというたとえ」という説明があります。
技術系のサラリーマンだった父も、
社会人として生きていくうえで、持つべき「人としての素養」として、
この二つのことわざだけは、子供に伝えたかったのだと思います。
そのほかにも、父からよく聞かされた言葉に、
「サラリーマンは身体が資本」というものがあります。
頭がよくて仕事も優秀な人が病に倒れ、その後、思い通りに活躍できなくなった姿を
数多く見てきたことで、何よりも健康の大切さを、これまた子供に伝えたかったのだと思います。
そして、私も私の弟も、知らぬ間にこれらの言葉を、
それぞれの子供に伝えているのが、不思議と言えば不思議です‥‥。